相対性理論が言う。重力というものは、時空、すなわち時間と空間を歪めるのだと。人間の「思い」というものも、重力と同じようなもので、多くのものを歪める。「歪める」と書けばマイナスのイメージがあるが、早い話が、恋することも同じことだといいたいだけである。


 昨日までなんてことなかった人を好きになったというやつがその典型であるが、大なり小なり、恋をすれば「痘痕もえくぼ」に変身する。恋は夢にも喩えられる。恋から覚めた時、どうしてあんなに好きだったのかと思い返すときがあるが、それは夢から覚めて初めて「あれは夢だったのだ。」と思うことと同義であろう。


 思いが強すぎれば、ストーカー行為のようになるだろう。それは、重力が大きすぎて、潰されてしまうことと同じである。人はそれを「縛られる」という。相手に縛られ、恋に縛られる。

 重力があるから、我々は地に引かれる。これも引かれると書けばあまり良いイメージは無いかもしれないが、「惹かれる」ことと考えれば面白い。

 「重力」と「思い」というものが、同じ力だと考えれば、この地球にも感情があったっていい。だから、地球が生物の生存できる環境であるのは、地球の「思いやり」なのだと。強すぎても弱すぎても、重すぎても軽すぎても、きっと人は生きては行けず、そんなことを考えると、この星で生きているということが奥深いものに感じられる。


 病気になれば、体の軸が重力線から逸脱する。あるいは、逸脱するから病気になったりする。重力を先ほどのように「思い」として代入すると、見事に「病は気から」との互換性を見出せる。思いというものが乱れなければ、感情のストレスもなくなるから、病気にはなりにくいかもしれない。

 しかし、人間の感情、思いというものには「波」がある。諸行は無常である、というのは、万古不変の真理であるが、波の状態で人間は揺らぐ。それは、人間の体の80パーセントだったかは「水」であり、涙は海の味がするように、月と地球の関係から、どうやったって、海と同じように人間の感情は揺らいでしまうのは仕方がないであろう。


 恋の成就にせよ、失恋にせよ、喜びと悲しみの波が大きくなると、その大波が瞳から溢れて涙になる。涙は、だから潮の味がする。

 そのように思えば、人間は一人一人が小さな「地球」なのである。