少し時間が過ぎましたが、4月22日と5月3日にプラートのポリテアマ劇場とフィレンツェのコンパニーア劇場で、フィレンツェを拠点とするバレエ団、フローレンスダンスセンターの公演、” ボエーム” にご縁を頂いて歌手として出演させていただきました。


フィレンツェの新鋭作曲家、フランチェスコ・ジュバッソさんのオリジナル音楽に、冒頭とラストシーンでプッチーニのラ•ボエームの音楽を使う構成で、

私はプッチーニのラ・ボエームの4幕の主人公のミミが死ぬ場面を歌ってくれと言うことで依頼が来ました。Sono andati fingevo di dormire… という歌詞で始まる短いけれど決して簡単ではないアクートの出て来るフレーズと、カットを入れながらロドルフォと出会った時を歌う、ロドルフォの有名なアリア「冷たき手を」の歌い出しと同じメロディche gelida manina から息を引き取るまでのシーン。短いけど、割とてんこ盛り笑

私の歌と姿を見た主催者がアラカンのおばちゃんに声をかけてくれたことがめちゃめちゃ嬉しくて、私で良かったらと二つ返事でお受けしました。


振り付けは、今はなくなってしまったけど10年くらい前まであったフィレンツェの劇場Maggio Musicale Fiorentino のバレエ団の元エトワールで、フローレンスダンスセンターの主宰者のマルガ・ナティーヴォ先生。

第一印象は、スラッとしていて、目がバンビみたいに可愛らしくて、なんて素敵な方✨✨🤩ラブ

初めまして!ステキな方ですね!と言ったら私81歳なのよとびっくりびっくり見えないっ!

先生はルドルフ・ヌレエフと踊ったり、ラヴェルのボレロの振り付けで日本でも有名だったモーリス・ベジャールのプリンシパルダンサー、ジョルジュ・ドンとかの有名なボレロを踊ったこともある、何気にすごい人ラブラブなのでした。

フィレンツェ公演では、楽屋がなんと先生と一緒になり、先生の舞台人生を一緒にメイクしながら伺いました。13歳で劇場に入り、47歳で引退するまでマッジョ( なぜフィレンツェの劇場はマッジョかと言うと世界的に有名な音楽祭が5月に開催されるからで、イタリア語で言う5月、マッジョという名前で知られています) のバレエ団のエトワールだった先生は21歳で最初のお子さんを出産し、子育てしながらエトワールを勤めたそうで、なかなか大変だったわよと。娘さんが7歳の時に、モーリス・ベジャールに認められ、ベルギーに本拠地がある彼のバレエ団と1年間の契約の話があったそうです。丁度その時に最愛の娘さんが病気になって病院に運ばれ、マルガ先生は契約を断ったそうです。ベジャールに、もう二度とないチャンスなのに、断るのかい?と念を押された時、仕事と家族?家族が大事よ。とキッパリ仰ったマルガ先生、今でも悔いはないと大きな瞳で仰って感動しましたラブおねがい


舞台に踏み出す直前までは緊張したり、ジゼルとか白鳥を踊らなきゃいけない時はイライラしたりしていたけれど、舞台で踊り始めると緊張は消えて行ってたの、だってそのための練習を欠かさなかったからねと。

バーレッスンは1日休んだらは自分に分かり、2日休んだらパートナーに分かり、3日休んだら観客にバレるのよ、だから毎日のバーレッスンは大事なのよと。さっきもみんなのレッスンしたでしょと。そう、本番前にマルカーレと言う場当たりをみんなでした後で、マルガ先生の口三味線で30分くらいバーレッスンしていて、小さい頃バレエをやっていた私にはとても懐かしくて興味深かったです。


昔NHKの特別番組で、森下洋子が全く同じことを言っていたのを思い出しました。

なんか声楽の道に似てるなあーおねがい


マルガ先生が、歌手もそうかもしれないけど、カリスマは教えられないのよねと。そう!カリスマだけはコーチング出来ない。生まれた時に持ってるか持ってないかなんです。今回プリンシパルダンサーだったロドルフォ役のニコロ・ポッジーニさんはまさにカリスマ半端なく、技術も素晴らしくてプロとして売れっ子だそう。プラートでの初日が終わった時、彼が私を抱きしめてグラツィエ!と言ってくれたのは本当に嬉しかったです。


7月10日にフィレンツェのサンタマリアノヴェッラ広場で最終公演となるので、あと一回マルガ先生とカンパニーに会えるのですが、フィレンツェ公演の後、生徒さんたちが来週のレッスンはお休みにしませんか?と冗談で?提案していたらノオッ❗️と即却下されていてかなりウケたし、親近感感じました笑い泣き

いくつになっても、一流との出会いは嬉しいですね。

A presto !!!! 





カーテンコール


マルガ先生と