SUPER☆GiRLS 新人賞への道(1)
SUPER☆GiRLSは全国オーディションをへて中野サンプラザで行われた決勝大会で結成。
日本レコード大賞 新人賞をめざして走り出したのは 2010年6月12日でした。
新人賞という大きな目標にむかって歩んだ1年半を
すこし振り返ってみたいとおもいます。
<結成まで>
2008年、企画考案をはじめました。
2009年秋「avexアイドルプロジェクト」、という企画を立ち上げ、
事業計画にするとともに、会社としてGOがでます。
本格的にオーディションからアイドル発掘に乗り出します。
2009/12/28に、Yahoo!のバナーから募集開始しました。
あのときのティザーサイトの告知文にはちょっとしたシカケがあったのですが
気がついた方はいらっしゃいましたか??
そして、2月まで、BeeTVのTVCMの、最後にオーディションの告知をいれたり、雑誌、新聞の広告や、ポスターを提携のダンススタジオなどに貼って頂いたり、カラオケUGAさんのお店で告知展開をしてもらったり、JOYSOUNDさんのうたスキというサービスでもエントリーできるようにしたり、様々なことをしました。
エイベックスとしてアイドル発掘のオーディションをしたことがなかったので、告知が浸透するのにはなかなか思うようにいかず、毎日応募数をチェックしては、もっとこないかなあ。。。と思っていました。
それでも、幸いに全国規模でアイドルオーディションをしている他社がいなかったことなどもあり、7000通にも及ぶ応募をいただきました。
全ての資料、応募データを1つ残らず自分の目でみました。
そこから約1000名を2次審査で全国の地区予選で見ることになりました。
2010年3月のことです。
2次予選の初日、3/20だったとおもいます。
大阪で2日間行ったのあと、北海道へ。ここから本当にハードでした。
沖縄のあと、そのまま名古屋。仙台の後、いったん大宮に帰って、そのまま新潟入り。
関東は応募も多く、4日間に分けました。
全9都市、13日にわたる全国2次審査を行いました。
これらの経過をBeeTV内の番組、avexアイドルオーディション2010でおいかけました。
総集編は、デビューアルバム「超絶少女」のDVDつきに収録されております。
ぜひご覧ください。
初々しい姿や、いま、ストリート生として頑張っているメンバーも映っています。
3次審査はBeeTVでの投票で行いました。
まだ視聴者も2000人くらいで、得票数もそれほど多くなく、なかなかネットでも
話題になりにくかった時期です。
投票は18日間行いまして、総得票数で1位は宮崎理奈でした。
5月、GWを使って2日x週の4日間かけて、合宿を行いました。
決勝に進む24人が海に向かっているこの写真は懐かしいですね。
この合宿に合わせて3つの課題曲を制作しました。
ユニット1「NIJIIROスター☆」
ユニット2「絆デイズ」
ユニット3「Be With You」
NIJIIROスター☆はLitz作詞作曲で、今でもSUPER☆GiRLSの全ての曲の仮歌を歌ってくれています。
楽曲提供は、超絶少女の「虹色ダイヤ」「ロッキュ~キミがくれた証~」「NIJIIRO涙。。。」そして「NIJIIROスター☆」の4曲です。
これは課題曲をお願いしたときに、虹色3部作を創る!といってくれて、SUPER☆GiRLSのコンセプトにあうバラエティに富んだバリエーションで産んでくれました。下北沢のとある居酒屋で企画書を完成させる課程での話です。確か2009年の9月だったとおもいます。
アレンジメントはあの水島康隆さん。ご一緒に作品が作れるなんて本当にうれしかったです。
そして、絆デイズ。これは、FIREWORKSという作家さんの作曲です。
最初「恋空グラフィティ」という曲名でした。
いい曲で、3曲のバランスでも最高にマッチしていました。
当時一緒に曲を作っていた「コスモ横山」と上がってきたフルコーラスを、2次審査で北海道に入った雪の中を走る列車で聴きました。これだ!とおもいました。アレンジに渡辺徹さんと最強の布陣です。
最後に、メンバーにも最後まで伏せていましたが、小室哲哉さんの「Be With You」
どうしてもどうしてもこのSUPER☆GiRLSに
ご提供いただきたくて、お願いした大事な大事な一曲です。アレンジは齋藤真也さん。
この3曲はSUPER☆GiRLSの曲として超絶少女にも収録するのですが
このときはまだ「課題曲」という域でした。
結成後にパフォーマンスするために12人構成で振り付けなど全てやり直すのですが、結成まで全く別の道にいた12人が新しい曲を短期間で覚えたり、歌ったりするのは難しいと思い、
オーディションの課題曲として、すくなくとも、出身ユニットのメンバーがほかのメンバーに歌い方や、動きを教え合ったり出来る要素をのこすためにこのようにしました。
合宿では、ヴォーカルの先生を振り付けを教えてくれるダンスの先生を3名づつついていただき本格的にレッスンをします。この当時のレポは
オーディションスタッフブログに懐かしい写真とともにのこっていますので是非見てみてください。
決勝の中野サンプラザ。
アイドルの聖地の一つ、として絶対に外せない場所。
ここを選びました。
それぞれの思いを最大限にぶつけ、最終審査。
Be With Youを作っていただいた小室哲哉さんにも見ていただき、12人が決定。
ユニット3のメンバーは、その日に作詞作曲が小室哲哉さんだったことを知り号泣しました。
翌日、6/13にメンバーとご家族に説明会を行いました。
このオーディションでは水着審査などもありませんでした。
なので、この日に初めてボディー採寸を行い、8月のa-nationコミュニティーエリアでのパフォーマンスのための衣装を作り始めます。
ここからがこの新人賞へのスタートでした。
<デビューまで ~ 目標とした新人賞とは ~>
新人賞は賞の名称からもあるとおり、デビューした最初の一年しか受賞対象となりません。
5年後、そしてその先も、頑張り続けるグループであるために妥協はしたくなかったし、狙うならば、最高の賞である、レコード大賞 新人賞を受賞したい!とめちゃくちゃ高いハードルではあるけれど、目標としました。
メンバーも全然目標としての実感がなかったとおもいます。
6.12,その日まで視聴者の一人であったメンバーにとっては
新人賞を取るコトって何なんだろう、
12/30の日本レコード大賞のステージに上がることは諸先輩方の立つ大舞台、
そこにいくなんて想像がつかなかったはずです。
僕には確信がありました。
2次予選で初めて直接会って、数ヶ月。
合宿の2回の晩を使って全員と話しました。
親御さんも含めて面談もしました。
中野サンプラザで最初で最後のユニット別パフォーマンス。
リハーサルから堂々としていました。
はじめての大舞台、あのステージで堂々と全力で今できる自分を出しているメンバーを見て
この12人には、なんというか、
いわゆる、この世界で輝ける「星」を持ってるなとおもったからです。
「持ってる」というやつです。
普通の女の子であることはそうなんですが、「星」を持ってる人だと感じました。
どこが、と言われると難しいのですが、いうならば直感です。
とにかく、全然素材レベルで即戦力な実力は誰ひとりいなかったのですが…
一生懸命向かう姿、素直で、まっすぐなところ、キラキラ感はアイドルとして
成長していくために必須の要素ですから、それは間違いないなと思いました。
「新人賞」というのは単に狙って取れるものではないという風に思っています。
なんとかデビューした年に顕著な活躍と、インパクトを与えなければ賞を頂けない。
少なくとも「やっぱり、新人賞はスパガだよね」と言われる状態になっていたい。
そんな希望と願いと、やらなきゃいけない!という思いでした。
だからこそ、審査期間でもある2010年の年末にはデビューさせないといけなかった。
この期間をフルで活動して成績も残して、2011年の年末、今日を迎えなければいけなかった。
そう逆算していくと、
そこに追いつくべく実力と、スキルアップをしないとと思い、
詰め込んだ2010年の6月~12月の半年間。
ライブパフォーマンスをしながら、少しずつ応援してくれるファンを
増やしていく過程がどうしても必要だったSUPER☆GiRLSにとって、
12曲のアルバムをデビュー半年で作り上げ、
12月にパフォーマンスするまでになるのはまさに、試練でした。
a-nation、そして、TOKYO IDOL FES2010に
デビュー前にもかかわらず出演させていただきました。
一般には全然ですが、少しだけアイドルファンの間で話題になるようにはなっていきます。
そして、様々な事業計画がまとまったこと、夏のパフォーマンスと成長ぶりを見て
新レーベル「iDOL Street」というアイドル専用レーベルの設立と
デビューを決定します。
夏に3回公演をやらせていただき、いまではファンにとっても、メンバーにとっても
「ホーム」ともいえる汐留AXで発表。10月2日のことでした。
たくさんの新聞でも扱っていただき、
「新人賞狙う」「avex本気」「打倒AKB48」と見出しを飾ることになります。
秋にはイトーヨーカドーさんの協力を得て、デビュー前に
北海道や、大阪、名古屋にもいきました。
とにかく、見てもらい、パフォーマンスする場を提供して頂けたことが全てでした。
実践の特訓です。
これがなかったらこの期間での成長はなかったんです。
そしてこの期間からアツく応援してくれたSP(※)の皆さんが
いなかったらデビューもまともに出来なかったとおもいます。
様々な企業コラボの準備や、工夫も仕掛けていました。
その一つが、「モード学園」さんとの衣装コラボです。
オーディション中の名古屋2次審査の時に向かいにあったモード学園さんがあり
どこかと衣装をコラボしたかったイメージが、はっきりした絵に見えました。
東京のモード学園理事の青木様へプレゼンに行きました。
そして、「アイドルの卵」と「未来のデザイナーの卵」の
コラボをしてもらえないか。というお話をしたところ
「産学連携」という取り組みを様々な企業さんとおこなっていたモード学園さんの
賛同を得ることが出来、いろいろご調整いただいた結果
学生さんに夏休みを使って課題としてデザインを起こしていただくステップになりました。
そして、完成した10月にモード学園さんの学生さんが産んでくれた作品はこちら!
300を越えるデザインから選び、DVDにもなっていますファーストコンサートの
衣装として全48体も創っていただきました
また、チェック生地は「御幸毛織株式会社」様から提供いただき、
SUPER☆GiRLS専用のチェック柄を創っていただきました。
チェック柄には登録されている正式な柄というものがあり、
SUPER☆GiRLS というチェック柄になっています。
すごい!!
モード学園さんでの発表会はこちら
http://www.mode.ac.jp/tokyo/topics/2010/supergirls_1.html
しかし、全然実力は追いついていかなく正直、話題性や、
注目される存在になるまでにはまだまだ・・・・苦戦しました。
10月中旬初めてのミニライブを原宿アストロホールで行い、
300名くらいのお客さんを呼べるようになりましたが、駆け足でした。
なかなか爆発的にはならず、その公演で発表した、
12/23なんばhachと、1/9日本青年館で行う予定だったコンサートは
中止せざるを得ないという挫折も味わいました。
正直、「中止もシナリオですか?」という声もありました・・・。
いやいや、、、まさかそんなわけもなく、
プロジェクトとしてもしっかり立て直さないと!と
必死になって2011年の展開を再調整しました。
中止をメンバーに連絡したのが2010年11月23日。
絶対忘れない日だと思います。
同じ時間、代々木の広場ではももいろクローバーさんが
無料ライブでたくさんの人を集めていました。
メンバーは今までに無いほど泣いて、そして、再団結した日だった。
SUPER☆GiRLS新人賞への道(2)へつづく。
※SUPER☆GiRLSはファンの方の応援で育つアイドルグループです。
携帯サイトを通じて応援して頂くことが、実際の活動に影響するシステムをとっており、
ファンの方を「サポートプロデューサー(SP)」と呼んでいます。
<リアルアイドル育成支援サイト マイドル!SUPER☆GiRLS>