研修医MASAYA | ******研修医MASAYA******

研修医MASAYA

小学校に入学したばかりの丈太郎は、天気の良い日曜日には、いつも一人で近くのボート池へ遊びに出かけた。ボート乗り場には木造りの桟橋があり、腹這いになり板の隙間から水中をのぞき込むと、透き通った水の中にタナゴやオイカワなどいろいろな魚が群れをなして泳ぐのを見ることができた。昆虫や魚や植物が大好きな丈太郎にはとっておきの秘密の観察場所だった。 ある日曜日、いつものように魚を観察していると、近くで魚取りをしている上級生の声が聞こえた。池の縁の浅いところに降り、杭木が縦に並べられた土止めの間に手を入れて魚を捕っている。自分もあんな風にすれば魚を手で捕らえることができるのではないかと思った丈太郎は、上級生達が立ち去ったあと、杭に捕まりながら水の中に足をおろした。そこは砂地で心地よい感触が足の裏に伝わってくる。わくわくする気持ちで杭と杭との隙間に手を差し込んだ。小魚が手にぶつかってくるが捕らえることができない。魚取りに夢中になっているうちに、足下の砂が崩れ突然目の前が真っ青になり、きらきら光る波がとてもきれいに見えている。泳ぐことのできない丈太郎は手足を動かしたが体は沈んでいく。しかし不思議なことに丈太郎は怖いと感じなかった。万華鏡を覗いているような美しい世界が丈太郎の心を捉えた。(どうしたんだろう?)まだ幼い丈太郎には何が自分の身に起きたのか解らなかった。


「コード・ブルー、コード・ブルー521、コード・ブルー、コード・ブルー521」突然、院内放送が聞こえた。遅い昼食を医局で済まし、ソファーに横になり一休みしていた丈太郎は、はっと目が覚め、急いで5階の21号室に走った。丈太郎が部屋に着くとすでに5,6人の研修医と指導医がドア越しに中を覗いている。丈太郎も覗いてみると、同僚の川口が挿管をしようとしていた。患者は90歳の心不全のある肺炎のお婆さん。すでに心停止になっている。この病院では、一番はじめに駆けつけた研修医が挿管をさせてもらえることになっている。傍らに立つ指導医から手順や挿管のコツを伝授されながら挿管実践の権利が与えられる。そんな訳で「コード・ブルー」の放送が入ると、手の空いた医師は全員駆けつけた。とくに研修医にとっては挿管の練習をさせてもらう良いチャンスなので、急いで駆けつけるのが常だった。無事に蘇生に成功すると、みな忙しそうに自分の仕事に戻っていった。 丈太郎はうらやましそうに川口の挿管するのを見ていた。自分も一番に駆けつけ挿管を実際に経験したかったのだ。挿管練習はすでに外科手術見学の時に、静脈麻酔で意識を落としてある患者で、麻酔医から左手に持ったスタイレットに沿って、声門を目で確認しながらチューブを挿入することを教えられた。麻酔が掛かっているので筋肉の緊張も無く簡単に挿管できた。しかし救急の場合ではそれほど簡単でないことを、同僚が苦労しながら挿管する姿を見ていたのである程度は解っているつもりだったが、やはり実践でないと本当のことは解らないと常々思っていた。(こんどこそ一番乗りでやらせてもらおう)と心の中で呟いた。