34) 保元・平治の乱
美登里ちゃんの家庭教師で保元・平治の乱の質問があった。
暗記ばかりになるから面白くないとのこと。
「保元の乱から平治の乱、頼朝と義経の所は面白いんだけども、流れをつかまないとごちゃごちゃになるから気をつけようね。義経記や太平記を読んでおくとすごく判りやすいよ、僕は歴史が好きだったので、中学の時に学校推薦図書で義経記と太平記を読んだよ」
「そんな暇ないわ、先生判りやすく教えて」
「しょうがないな、じゃあ順番に鳥羽法皇、保元・平治の乱と説明していくよ。まず白河法皇が待賢門院を鳥羽法皇に与えて妻とさせた。これはいいんだが、その後がいけない。鳥羽法皇は、我が子崇徳天皇を祖父の白河法皇と妻の待賢門院との間にできた子と疑っていたので、崇徳天皇を退位させてしまった。そして崇徳上皇の弟にあたる、自分が愛する美福門院の子を近衛天皇として即位させた。要は自分の子が、実は自分の父親の子だと思ったので退位させ、弟の方は自分の子と確信していたので即位させたと言うことなんだ」
「ひどい話ね」
「そう、ひどい話だが天皇家にまつわるとんでもない話なんかいっぱいあるよ。そして近衛天皇が崩御すると、今度は崇徳上皇が自分の子の重仁親王の即位を望んだが、父の鳥羽法皇はやっぱり崇徳上皇が気に入らなかったので、美福門院の推す、崇徳上皇のもう一人の弟である雅仁親王を後白河天皇として即位させてしまったんだ。」
「ほんとに骨肉の争いね、待賢門院と美福門院との女同士の戦いもすごいわね」
「そう、女の戦いも凄まじいものがあるね。だから崇徳上皇はもの凄く怨んでいたので、鳥羽上皇が崩御すると、 崇徳上皇と後白河天皇の対立はさらに強くなり、そこに源義朝、平清盛が天皇方に味方し、源為朝は上皇方に味方し賀茂川を挟んで戦かったんだ、そして義朝と清盛の天皇方が勝った。これが保元の乱のいきさつさ。そして保元の乱で勝利した後白河天皇は、皇位を二条天皇に譲り、自らは上皇となり院政を始めたんだ。」
「へー、分かりやすくて、面白いわね。先生ホントにすごいなー。予備校の先生でもできるわよ。人気でるかも。」
「ははは、予備校の講師ね、医者がやれなくなったらそうしようかな。でも家庭教師の方がやっぱりいいな。」
「平治の乱は、保元の乱の時に、源義朝は父親の為義と弟の為朝を敵にまわし、二人を殺害したにもかかわらず、平清盛に比べて、冷遇されたことに不満を持ったんだ。そこで上皇の側近である藤原信西が才能豊かな学者で政治力もあったことに目をつけ、義朝は信西と手を組んで清盛を押さえ込もうと思った。そして義朝の娘婿として信西の息子を貰おうとしたが信西に断わられてしまった。逆に信西は清盛の娘に息子を差し出した。これに義朝は腹を立て、清盛を攻撃することにしたんだ。清盛が熊野に出かけ京を離れた隙に、義朝は、信西と対立していた信頼と手を結び謀反を企て、後白河上皇と二条天皇を閉じ込め、同時に信西を殺害した。ところが清盛は急いで京に戻り天皇と上皇を救い出し義朝軍を打ち破った。義朝と長男の義平は鎌倉を目指して落ち延びようとしたが捕らえられ殺された。これが平治の乱さ。天皇家も源氏も骨肉の争いをしていたんだ」
「よく分かったわ、先生ありがとう。歴史なんて恨み辛みの戦いばかりね。人間って醜いものね。」
「そうだよ、でもね人は騙されてもいいから、人を信じて生きることが大事だと思うよ。騙しの人生なんてするものじゃない」こう言って、自分のしていることと言っていることの間に大きな隔たりがあることを思い出し、言葉がつまった。
「先生どうしたの?」
「ん?いや何、ちょっと考え事してた。ごめんね」