13) SUGAR DADDY | ******研修医MASAYA******

13) SUGAR DADDY

(1)


朝7時目覚ましの音で起床する。今日も暑い日になりそうだ。
産婦人科病棟でのBSTにも慣れてきて患者さんとも平気で会話が出来るようになってきた。
勉強会も順調に進み、後半は夏休みの話題で花が咲く。
私も行きたくない訳ではないが、予定がいろいろと入っていて皆にあわせることが出来ないだけなのだが、どうしても理由を話すわけにはいかない。
チラッと雨宮を見ると何食わぬ顔でいる、心なしかいつもより静かで生意気さが取れているようだ。
5時頃、バイトを理由に早めに帰ることにした。
今夜は千香さんと食事に行く約束になっている。
彼女にはボトルの売り上げに貢献して頂いているので、今夜は私が夕食を御馳走する約束をしていた。尤も、千香さんだけでなく他のお客様にも同じように自分の方から招待することは時々している。

店はテレビでも紹介されたことのある、裏参道駅近くの「アロラブッシュ」に予約を入れておいた。
白のチノパン、紺のポロシャツに麻の薄いジャケットを身につけ、お気に入りのアルマーニのサングラスをかけ彼女を迎えに行く。
彼女はシックな感じの薄紺ワンピースに白のハイヒールで待っていた。
「今夜は姫をお迎えに上がりました」と軽い冗談を言うと、彼女も嬉しそうに車に乗り込んできた。
その後は軽いお喋りをしながらSLKを走らせる。

彼女が勤めているのは佐東病院といい、ベッド数が220床もある総合病院。
そこの手術室に勤務し主に手術の器械出しをしているとのこと。
伊東院長は以前よりマンションを借り、女子大生のパトロンになっているそうだ。
あまり興味はないのだが、病院長ともなるとそんなこともできるのかと思った。

暫くしてエンデの作品を模した旗章が見え、レストランアロラブッシュに着く。
外観は、石積みの外壁に円錐形の屋根、半円状の車寄せなどもある古い洋館を改築して作られ、近くにレストラン「ルノワール・ディノン 」がある。

ウェイターに案内され窓際のテーブルに着く。
今日の彼女はこちらが招待したこともあり、少し緊張している感じである。
料理が順に運ばれ楽しく会話をしながら食事をしていると、中年のやや小太りの男性が娘くらいの女性と一緒に入ってきて、こちらからは一番離れた壁際のテーブルに座った。
親子だろうと思っていると、彼女も横目で見て、「あれが院長と例の彼女よ」と小声で教えてくれた。
こんなところで出会うとは、なんと世間は狭いものだ。
院長からはこちらが見えないが、彼女の顔はよく見える。
小柄ではあるがとても可愛い女性である。
彼女は笑顔で院長とお喋りをしている、端から見れば親子と思われても不思議ではない。
(彼女の顔は何処かで見たことがあるような気がするが、何処なのかどうしても思い出せない。少なくとも業界ではない。女子大生というのだから何処かの大学なのだろう。これまでにいくつかの大学祭に参加したことがあるので、その時かも知れない。佐東・・・サトウ・・・砂糖・・・シュガー・・・sugar-daddyか・・・)
などと独り言を呟いていると、千香さんの声で我に返る。
「どうしたの?」
「え?、いや、何でもありません」
「知ってるの?」
「全然知りません、あの方が院長先生なのですね。中年にしては割と格好良く見えますね」
「そうね、良い方だと思うわ」
この時、千香さんも院長と仕事以外に何らか関係があった、または有るのかも知れないと感じた。
6時半から8時半までゆっくりとフランス料理を楽しむことができた。
(味はまあまあというところか)
今夜は夜勤が有ると聞いていたので、寄り道をしないでまっすぐマンションまで送る。
車を降りる時、彼女がお休みのキスをしてきた。
「今夜はここまでにしてね、このまえは、体中の力が抜けてしまい、準夜勤務が普通にできなかったもの。今度は勤務のない日にお願いね、オ・ヤ・ス・ミ!」
「ええ、分かりました。おやすみなさい」
少し欲求不満な気持ちで自分の部屋に帰る。

(2)

この数日で、新しい事実を随分知ることができたことが収穫である。
明日はアカデミア出勤なので、今夜は少し勉強しておこうと思い、早速、机に向かい、「イヤーノート」をパラパラとめくりながら忘れている事柄の拾い読みをする。
この本の特徴は、要点が1冊によくまとめてあり、過去問題に関する事項はほぼ網羅されている点だ。特に少ない時間で勉強するには効率的な参考書である。

勉強をしながら院長と一緒にいた女子大生のことを思い出す。
(あれだけ可愛い子が中年の院長に囲われているとは信じられない。そんな事しなくても良いとは思うが、何か訳があるのだろう。尤も、自分も似たようなもだし、決して悪いことをしているとは思っていないし、他人のことをとやかく言う資格はないけど・・・。)
来週月曜日から雨宮に付き合って勉強する事も気になっている。
(彼女が自分に好意を持ってくれるのは判るが、それは、表の真面目な医学生としての自分に対してなので、自分の裏の姿を知ったらそんなことにはならないだろう。何せお嬢さんは・・。どうしようか、思い切って・・・)
(8月には、フランスへボディーガードとして吉岡様に同行することも考えておかないといけないし・・・。パスポートも準備しておかないと・・・)
時々、色々なことが頭をよぎる。
外科と小児科の去年の問題を解着終わったので寝ることにした。

いつもどおり目覚ましで起床。薄曇りでやや蒸し暑い。
ノーブランドのジーンズに綿のシャツ、ダサイ眼鏡にスニーカー、いつもの姿で、犬塚駅から環状線に乗り込む。
電車は相変わらず混雑している。
地味な背広を着た中年サラリーマンはうつむき加減で、朝から疲れたような顔をしている。それに反して若いOL女性達は元気そうに見える。
女子高生などは人前で化粧を念入りにしているし、携帯でメールを打つのに夢中である。
横目で電車内の人々の顔を観察するのは楽しい。その姿、行動からその人の私生活がどんなものかを想像する。患者さんの心理を読む練習にもなるし、お客様の気持ちをくみ取る練習にもなる。日常全てが勉強だ。
駅を降り、歩いて大学のキャンパスにはいる。
BSTで産婦人科病棟に行くにはまだ時間があるので、医学部生協の書籍部に立ち寄る。
生協の人が丁度来て入り口をあけたところだった。
「おはようございます」生協のお姉さんが挨拶をする。
「おはようございます、メジカルビュー社の国試画像ファイナルアタックあります?」
「入ってるわよ」
「ありがとう」そう言って中に入って立ち読みをする。
(判りやすいな、軽見沢に持って行こう、7千円弱もするのか)
支払いを済ませ、新しい本をバッグに入れて病棟に足を向けると、後ろから「おはよう」と雨宮の声が聞こえた。
「おはよう」少し元気な声で返事をする。
「何買ったの?」
「これさ」先ほど買った本を見せる。
「その本ね、分かりやすいって評判よ」
「持ってるの?」
「まだ買ってないわ」
「そう」ちょっと安心した。
「今度これ持って行こうと思ってさ」
「見せてね」
「勿論、そのつもりさ」(しまった、余計なことを言ってしまった)
「へー、やっぱり優しいんだ。思った通りね」
「よせよ、別に雨宮のために買ったんじゃないよ、自分が良いと思ったから買ったんだ」
「いいの、いいの気にしないから。でも楽しみだわ、眼鏡なしでちゃんと来てよ!」小声で囁いた。
「でも、お母さんにはなんて言うんだ?」
その時他のメンバーがやってきたので会話は中断した。

いつものようにBSTは終了。
明日はBSTも講義も休みになり、一日早い夏休みなった。
勉強会はいつものように生協の二階の小会議室で行われる。
いままで、遊んでいた連中もだんだん勉強に取り組み始めている。
まだそんなに真剣にならなくとも良いように思うのだが、やはり国家試験に落ちると、医学生は企業に就職もできず、「人間になれない、早く人間になりたい!」とあたかも妖怪人間みたいな立場になるので、どうしても力がはいるのだろう。
今夜はアカデミアの出勤日なので、雨宮に捕まらないよう早めに引き上げた。

午後8時アカデミアに出勤すると、吉岡様から指名が入っていた。
同僚ホストのヘルプをして、吉岡様を待つ。
一時間ほどして、来店される。
早速用意してあったテーブルに御案内する。
いつものように「どう、勉強すすんでる?」と聞いてくる。
「ご心配なく、真面目にやっています」
「お店の売り上げは?」
「おかげさまで、クビにはならないようです」
「バイトにしては売り上げ良い方じゃないの?最近、マー君の指名が増えたって店長言ってたわよ。」
「吉岡様のおかげです」
「仕事以外の彼女出来た?」
「いいえ」
「ほんと?まあそれは良いとして、8月の15日から一週間私に付き合ってね」
「分かりました、準備しておきます」
その後はいろいろお喋りやダンスのお相手をする。
チークダンスをしていると耳元で
「これから、一緒に帰らない?リシャールを一本入れるから」と囁いた。
「はい、お供します」
店長に一言伝え、吉岡様と一緒に店を出て彼女のマンションに向かう。