3) 医学生 雨宮美鈴 | ******研修医MASAYA******

3) 医学生 雨宮美鈴

{1}

いつも通り地味な眼鏡でボサボサ頭に無印良品のTシャツにジーンズ姿で講義に出る。
階段教室の左隅最前列が俺の定位置。
第二内科の助教授の講義は人気が無く、出席者は十人程度。
内科学総論ではあるが何のことはない、教科書を一人で音読し、一人で頷いているだけなのでほとんどの学生は出席するだけ無駄と思っている。
とうの助教授も出席者が少なくても別に気にしていないようだ。
この助教授は出席者が一人もいなければ講義をしなくてもいいと思っているらしい。
無能なのかと言えばそうでもなく、専門分野の循環器では国際的に有名な賞をとっている。
俺は日頃アルバイトで忙しいので、授業中にしか勉強をする時間がないので講義は欠かさず出席しノートを取り、その場で記憶することにしている。

M4の春には、学生達はグループをつくり国家試験に向けて勉強会が始まる。
BSTの臨床実習も始まり、そのグループごとに各科を二週間ごとにまわっていく。
俺は目立たない学生で、これといって仲の良い友人は無かったが、試験の成績はわりと良かったのでクラスメートの雨宮美鈴が見かねて誘ってくれた。
彼女は入学した時から名簿番号が近かいので、教養の頃から実習も同じであった。
俺にとって話をする数少ない同級生の一人である。
彼女は眼科開業医の娘で器量は普通でクリッとした眼が可愛いと言えば可愛い。
おしゃれには気を遣っているようで、さすがに開業医の一人娘だと思わせるほど、ブランド物を毎日変えていた。
性格は明るい方で、ものごとをはっきり言うたちである。
ボーイフレンドは何人かいたようだが、少し我が儘なところがあり暫くすると別れてしまう。成績は中くらいで良くも悪くもない程度である。

そろそろ梅雨も間近な季節、ある月曜日の午後、小会議室でグループ勉強会があるので行ってみると、雨宮美鈴が先に来ていた。
部屋に入ると爽やかなシトラスの香りがする。彼女は薄紺のワンピースで、化粧は薄目でルージュはピンク。香水はクリニーク・ハッピーらしい。
「赤城君、来たのね。まだみんな来ないけど、何してるのかしら?」
「さあ、知らないなぁ、もうすぐ来るだろ?」
爽やかな香水の香りが心を擽る。
彼女は窓の外を眺めている。
(最近、雨宮は綺麗になってきたな)そんなことを思い彼女の横顔を見ていると、不意に
「ねえ、赤城君、ちょっと眼鏡外してみて?」と言ってきた。
一瞬戸惑ったが
「いやだよ」
「どうして?」
「変な顔、見せたくない」
「どうして?そんなに変だと思わないけど・・。それにね前から時々気になることがあるの。いつもボサボサで地味な服装してるけど、かすかに素敵な香りがすることがあるの」
「シャンプーしたときじゃぁないのかな」
「そうかしら、あなた黙っているけど不思議と気が利くのよね」
(今日の雨宮はどうしたというのだ?なにかあったのか?)
「普通だよ」とぶっきらぼうに返事をした。
(どっかで見られたのか、それとも彼女また別れたのかな?)

がやがやと残りの三人がドアを開けて入ってきたので会話は終わりになった。
「赤城も雨宮さんも、待たせてごめん。」
「早速、始めよう。今日は誰からだ?」
「私よ」と雨宮が返事をして小児科学の問題集を広げた。
それぞれ決められた範囲の問題を解いてきて、分からないところをお互いに教え合うことが始まった。

{2}
勉強会も三時間ほどで終わり、皆で食事に行くことになったが、俺は家庭教師のアルバイトがあるので皆とは付き合わずに一人部屋から出て階段を下りていった。
裏門を出ようとした時、後ろから雨宮の呼ぶ声がして、息を弾ませながら駆けてくる雨宮の姿が目に入った。
「ねえ、ちょっとお話ししたいから一緒に帰らない?」
帰るだけならいいかと思い、思わず「いいよ」と返事をした。
「じゃあ、一緒に来て」と言い、俺を駐車場の方に連れて行く。
雨宮の車は赤のアルファロメオ 156。
(さすが、医者のお嬢さん、いい車乗ってるな)
「きれいな車だね、なんて言うの?」
「そんなこと後でいいでしょ、さあ乗って」
言われるまま左側の助手席に座った。
雨宮の運転は割と乱暴で気の強さを象徴している。
「ねえ、さっきの続きだけど。眼鏡外して見せてよ」
「見るほどのものじゃないよ」
「いい線いってると思うんだけどな、赤城君、真面目だし勉強できるもんね」
「そんなことないよ」
「どこに住んでるの?」
(しまった!)とっさに
「犬塚駅の近くで降ろしてくれればいいよ」と返事をした。
「ふーん、今あんな所にいるんだ」
俺は話題を変えようと
「雨宮さん、勉強進んでる?」
「あまり進んでないわ、最近やる気がしないのよ」
「まだまだ先だから、のんびりやればいいよ。僕だって決められた範囲するのが精一杯だし・・・。」
「赤城君できるからいいわよ、私なんて親からいろいろ言われて厭になっちゃう」
「それだけ大事にしてくれるんだから良いじゃない?」
「赤城君、ご両親は?」
「しがない職人さ、雨宮さんの家とは大違いだよ」
「家なんて関係ないわ!私自由がいいもの。家や親に縛られてるの我慢できない!」
どうも親からいろいろ言われているらしく、急に言葉を荒げた。
(どおりで先ほど物思いにふけって窓の外を見ていたのか)
「あっ!ここでいいよ。ありがとう」
「こんなところで良いの?近くまで送るわよ」
「変な所に住んでるのを知られると恥ずかしいので、ごめんな!また今度な!今日はありがとう!」
(しまった、余計なことを言ってしまった)
急いで車から降り、雨宮に手を振って別れを告げ、近くのコンビニに入っておにぎり2個とお茶を買う。

今夜は美登里ちゃんの家庭教師の日。
いつも夕食をごちそうになるのでそれまでの間の繋ぎに少し食べておくことにしている。 急いで自分の部屋に戻り、家庭教師用の服と眼鏡に替える。

先日は美登里ちゃんの我が儘を聞いて、美登里ちゃんを抱きしめてる時に、母親が帰ってきた。少し焦ったが、美登里ちゃんも何事もなかったように、机に向かって勉強している振りをしてくれたので何事もなく過ぎた。
そんなことを思い出しながら 三十分ほど歩くと美登里ちゃんのマンションに着く