少し前に、食べ物をいただくことは、

「いのちの移し替え」をすること

というような表現をしている人の話を聞いた。

 

 

そうだよなあ、

とは思っていたけれど、

あまり実感はしていなかったなと思うてへぺろ

 

 

そして、先日、ふと思ったのは、

野菜を育ててくれた人がいる、

素材を食べられるまでに加工してくれている人がいる。

色々な人の手に渡って、

そこに愛情が注がれているとは思っていた。

 

 

でも、素材そのものの

生きようとする命のことをすっかり忘れていた。

そのことに驚いた、ビックリしたびっくり

抜け落ちていた感覚だった。

 

 

牡蠣鍋を食べながら、

あ、

白菜、

ネギ、

豆腐、

牡蠣、

昆布、

かつお、

しめじ、

味噌、

みりん、

酒、

ここに入っている食べ物は、

全部生きていたのだなあと、

しみじみ感じて、

驚いた。

 

 

全部、生きていたし、

生きようとしていたし、

全部が命だったんだなあ。

 

 

それを、いま、

こうしていただいているって、凄いおねがい

 

 

いのちをいただくならば、

私、生きたいよなあ。

 

 

命が循環していくように、

生きたいよなあ。

 

 

生かされているって、

こういうことも含むんだなあ。

 

 

食べた(いただいた)私を

生かそうとしてくれているんだよなあ。

 

 

ありがとうございます、

という言葉が自然と出てくるものですね飛び出すハート

 

 

いただきます、も照れ

 

 

循環、素敵な言葉だなあラブラブ