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TAKの部屋

ムラムラくんという、よく分からない人がよく分からないことを書くブログです。

タイトル通りですw

えーと、今日はほぼ予定通りに会社泊まりですw

おかしいな~
12時には会社に来てたのになぁ~・・・

んで、こんな終電もなくなった時間に
最低限の仕事が終了。
どうせいっちゅうんじゃ!!!!\(*`∧´)/


・・・
こうなったらやることは一つでしょう。

はい、会社近くのバーで酒でも飲んできます。
軽くね・・・軽~~~く。

始発の時間だけは調べたので
ちょっと飲んだら始発で帰って
風呂に入ってまた出勤します。

なんて素敵な週末なんだぁ(*^ー^)ノ




・・・・
死にたくなってきたので、さっさと行ってきますw

では皆様。
素敵な週末の夜をお過ごし下さい。

どもども^^


どこぞの小娘さんに

「たま~にはブログ更新してね」

と言われてしまったので

仕事もせずに書きますw


その小娘ちゃんのブログに全乗っかりですが

まあ、こんなテーマで。


オレは人生でただ1回だけ

転校というものをしたことがあります。


それは高校2年生の5月でした。

その周辺の日の事は

今でも良く覚えています。


そう、オレがアイルランドへ渡った時の事です。



その3日前くらいには

なぜか元の学校で「学力テスト」みたいなのがあって

どうせ転校するのにな~

なんて思いながら適当にやったら

学年(約320人くらい)で7番という

奇跡の成績をたたき出しましたねぇ。


あ、もちろん結果を知ったのはすっごい遅くて

たしか夏休みに日本に帰ったときでしたがw


そのテストを受けたのが、確か水曜日。


木曜日に何をしたかはまったく覚えてませんが

金曜日の事も良く覚えています。


学校帰りに

仲のいい友だちと

そしてその友だちが所属していた

天文部の後輩たちと一緒に

浅草「三社祭」に行きました。


理由とかはよく覚えてません。

多分「日本を離れる」という事実に

必要以上にナーバスになっていて

なにか日本らしいことをしよう

くらいの軽いノリで行った気がします。


でもね、あれってすんごい混むんですよw

オレは人ごみ知らない男が大嫌いなので

5分もしないうちに境内を出ちゃいましたねw


そのあと、5-6人でどっかの駅まで歩いて帰りました。

そっちの方が祭りよりもはるかに長かったですね。


そして翌日の土曜日。

これまた理由は不明ですが

何かやり残した事は?と考えて

後楽園ホールに全日本プロレスを見に行きました。

その前には、多分後楽園のWINS(場外馬券売り場)で

競馬をやった記憶があります。

(↑もう時効だろ?w)

そんなことをやって、なぜか満足して

翌日の日曜日に

成田空港からイギリス・ヒースロー空港を経由して

アイルランドはダブリンまで飛び立ちました。



そうそう、土曜日の午後。

ちょうど家に着く直前。

(ホントに直前、ドアの前でした。)

オレが持ってたポケベルに

最後の着信がありました。


送信元は、高校1年の時にできた

人生最初の彼女(同級生)でした。


そこにはただ一言

ガンバレ

とだけ、書いてありました。


人によっては冷たいとか

そういう風に受け取るかもしれませんが・・・

日本を離れる事を怖がっていたオレには

とても勇気を出してくれる言葉でした。


たった4文字のおかげで

その後の慣れない外国暮らし&不自由な寮生活を

何とかこなせたのです。

彼女とはその後2度会っただけですが

今でもとても感謝しています。


オレの唯一の転校の思い出は

ホントに困ったとき・辛いときは

饒舌に語るよりも

短いストレートな言葉の方が

勇気を与えてくれるという

大事なことを教えてくれた

大切な思い出です。


皆さん、どうですか?

優しい人ほど

そして相手を大切に思うほど

雄弁になってしまうと思います。


でも、そこは勇気を出して

誤解されてしまうのも恐れずに

ただ一言だけ

心からの気持ちを

相手に送ってあげてください。


それが届いたとき

相手は言葉に込められた元気や勇気を

きちんと受け取ってくれるのだと

オレは思います。

ですから

オレも今、悩んでいる大切な人へ

そして、このブログを読んでる皆様へ

この言葉を

勇気を出して送りたいと思います。


ガンバレ

みなさま、おはこんばんちわニコニコ


今日、やっと地獄ウィークが終わって

明日から3連休のTAKです。


ま、火曜日からはまた死ねるんですが^^;


さて、ずっと書こうと思ってた

センチメンタル企画第一弾

「さよなら多摩市」を

書くことができます。


センチメンタル企画なので

面白くはありませんw

それをご理解いただいたうえで

読みたい人だけ読んでください。




オレが多摩市に住み始めたのは

記憶が確かなら2000年8月だったと思う。


大学まで、片道1時間30分かけて通学してたオレは

その時間があまりにもったいなくなって

2年生の夏休みに引っ越しを決意。


場所を、大学に近すぎず

だけど便利な場所ということで

大学まで原付で15分しかかからない

多摩市落合というところに

ワンルームのアパートを借りた。


その後、就職が決まって収入のめどが立ち

また、当時付き合ってた彼女と同棲することもあって

同じ多摩市の聖ヶ丘という場所に

2Kのアパートを借りたのが

たしか2003年11月だったと思う。


それから約7年。

オレはずっと同じアパートで暮らしてた。

大家さんがとてもいい人で

とても快適に生活できた。


オレには故郷が2つあった。

生まれた山口県宇部市と

そして、2年も住んでないのに

オレの価値観を一変させてくれた

アイルランド・ニューブリッジ。


今、多摩を離れて感じるのは

多摩はオレの3つ目の故郷だということ。

緑が好きで

田舎が好きで

あまりせかせかしていない

そんな土地が好きなオレには

多摩はとても住みやすい町でした。


梅と桜がきれいな町。

多摩川がすぐ近くにある町。

電車で30分も行けば

高尾山にも行ける町。


そうかと思えば、新宿まで40分という

アクセスの良さも魅力の町。


だけど

仕事をはじめて

彼女と別れて

何もかもが変わって

いろんな意味で多摩に住むのがツラくなって・・・


そして、決定打となったのは

オレを待ってくれる人が

他の町にいたこと。


だから今年

ついに引っ越しを決意しました。

そして、実行しました。

それでも、多摩を離れることに

さみしさはあった。

どんなに待っていてくれる人がいても

その人が大切な人でも

それでも割り切れない

そんな気持ちがあった。


きっとそれは

これからの人生で何があっても

オレが一番自由に生きれたのは

多摩で過ごした約10年だから。


だから、ずっと忘れないと思う。


引っ越しにあたって

少しだけ写真を撮っておきました。


でもそれはあくまで

ブログでみんなに見せたいからであって

オレには必要ない。


今でも、思い出したくなったら

いつでも思い出せるから。


大学生~社会人~ダメ人間~社会人と

いろんなことを経験した時期に

住んでいたオレの大切な町です。


約10年間。

本当にありがとう。

また行きます。

必ず行きます。


できたら

オレの記憶の多摩と変わらずにいてください。


(オレの家から撮った写真)

TAKの部屋


(一番近いバス停)

TAKの部屋


さよなら、多摩市。

また春に会いましょう。