暗い、そして長い話です。
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最近、久しぶりに戯曲を読みました。
高校生の頃、大好きだった
鴻上尚史さんの『パレード旅団』という
俺ら世代の高校演劇部員なら
かなり有名なホンです。
崩壊寸前の家庭といじめられっこの中学生
2つの世界がリンクしていくという
高校生には難しい劇でした。
あの時まったく分からなかったことが
今なら少し分かる気がします。
この劇のテーマはコミュニケイション。
家族も学校も、人間が生きていく上で
もっとも基本的なコミュニケイションが
必要とされる場面です。
その中で人間はどうすべきなのか。
どうあがくのか。
そんな劇です。
前向きに動くことと、希望を持つことの違い
そして、その中で何を信じるのか
深く考えるほど、高校生向きではないですね。
このホンを久しぶりに読んで思った。
大事な時ほど、素直に話さないもんだと。
大したことないことは、言えるんです。
でも、ホントに悩んでること
心配なことは、絶対なんらかの形で
ごまかして話してる気がします。
少なくとも俺はそうです。
自分のことだけじゃなくて
相手の本音を聞きたいときも
やっぱり大事な時は茶化したり
感情を必要以上に押し付けたり
そんなことしてませんか?
少なくとも俺はそうです。
それじゃダメ、というよりも
その方が悪い結果を呼ぶような気がします。
でも、怖いんでしょうね。
聞きたいこと、話したいことを
素直に聞ける、話せる相手って
何人いますか?
俺は一人しかいない。
でも、一人いてくれることが
どれだけ俺の人生の支えになってることか。
そういう人がいることが俺にとっての幸運で
ただ、そいつが近くにいない上に
俺と同じかそれ以上に忙しいのが
俺にとっての不幸です。
とまれ。
上手く行かないときこそ素直に。
希望も絶望も開き直りもなく
ただただ前向きに。
自分に聞いてみろよ。
どうせ嫌いにはなれねぇんだろ?
少なくとも俺はそうです。
この劇の最後のセリフ。
俺が演じたお父さんのセリフ。
きっと俺の人生で最後のセリフ。
「行くぞ」
16の俺はきっと
希望をもって発したことでしょう。
でも、それじゃダメで
そこにはひたすらな前向きさだけしか
存在しちゃいけなかった。
今ならできるのだろうか?
迫り来る洪水を目の前に
崩壊寸前の家族を真横に
それぞれ従えた最期の時に
同じセリフを声にするなら
今の俺はどんな顔をするだろう?
今、高校演劇は多分ヤバい状況だと
勝手に推測しています。
だからこそ、今の演劇部員たちには
がんばってほしいと思います。
多分全員が、お父さんのセリフのように
希望のない状況で
だけど絶望してもいない状況で
稽古してると思います。
そこで一生懸命やってるみんなは
このセリフに鴻上さんの意図通りの
表現ができるんじゃないかと思います。
そしてそれは
俺にとってとても羨ましいことです。
(BGM:『光芒』B'z)
光を求め歩き続ける 君の情熱がいつの日か
誰かにとっての光となるでしょう
誰かにとっての兆しとなるでしょう
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