人間学を学ぶ月刊誌 「致知」 2021年10月号より

対談:  五木寛之(作家)♡

   永田勝太郎(国際全人医療研究所代表理事)

昨日(2022/1/20)の木鶏クラブハウスでは 
第二次世界大戦時、ナチスの強制収容所から
奇跡の生還を果たしたフランクル先生について語り合われた
お二人の対談をご紹介させていただきました。
 
極限の収容所体験を綴った名著「夜と霧」
今なお世界中の人に読まれ続けています。
 
同書に大きな衝撃を受け、著書や講演を通して幾度となく言及してきた五木寛之氏と
フランクルに師事しその教えを自身の医療活動に活かしてきた永田勝太郎氏が
困難な人生を生き抜く上で大事なヒントについて語り合われた対談です。
 
永田氏は現在73歳 51歳の時に医大勤務中に薬の副作用で寝たきりになられました。
絶望の中フランクル先生の妻エリーさんに手紙を出されます。
「僕はもうじき先生(フランクル)のもとに行きます。さようなら」
 
すぐにエリーさんから返事が来ました。
「私は医者ではないから、あなたに何もしてあげることができない。
でも生前、夫が私にいつも言っていた言葉を贈りましょう。
 
『人間誰しも心の中にアウシュビッツ(苦悩)を持っている。
もしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。
あなたを待っている誰かや何かがある限り、
あなたは生き延びることが出来るし自己表現出来る」
 
そして永田先生がその手紙を何度も読み返しているうちに
奇跡が起きました。
 
病室に次々に弟子にしてほしいという医師や学生が見舞いに来てくれ
「俺の人生まだまだ捨てたものじゃないな ならば生きていこう」と
思えるようになり、それからリハビリに打ち込み快復されたという事です。
永田先生は薬の副作用で病状が悪化したことから
医学教育の刷新を決意し統合医療の道を開かれたそうです。
 
永田氏は語ります。
 
フランクル先生は収容所の中で
「夜と霧」のもとになる原稿をずっと書き続けます。
最初に書いた草稿は全部取り上げられて
燃やされてしまいましたから
看守に見つからないように
小さな鉛筆をポケットに忍ばせて
紙くずに速記で書いては
毎晩月明かりにかざして考察を繰り返した。
 
先生は収容所の中でいま自分が体験している非人間的な世界を
世に伝えていかなくてはならないという使命感を強く抱いていました。
だからなんとしても書き残さなければならないと
 
フランクル先生の学問の中心は「人生には意味がある」
人間には誰しも何かミッションがある、
そのミッションに向かって行動を起こすことが大事だと
その信念に突き動かされて書き上げたものを
奥様のエリーさんが清書して「夜と霧」ができあがったようです。
 
対する五木氏は語ります。
「自分は許されざる者という罪悪感」
 
私たち家族は終戦を朝鮮半島の平壌で迎えて、
そこから38度線を徒歩で乗り越えて引き上げてきた。
その1年半くらいの期間というのは、
ソ連兵による暴行や略奪に怯え、
発疹チフスのパンデミックに脅かされて
それは過酷なものでした
 
母はそうした中で亡くなりました。
引き上げの最中というのは。人を突き落としてでも
前へ進まなければ生きて帰れませんでした。
「お先にどうぞ」なんていう心優しい人は帰ってこられなかった。
こんなことを言うと叱られるんだけれども
帰ってきた人間は皆悪人だと思っているんですよ。
 
どこかに自分は許されざる者であるという罪悪感が心の片隅にあって
具合が悪くてもおまえなんか病院で治療を受けられる身かという思いを
ずっと引きずっていましたね。
 
それが85歳を過ぎてやっと解けたんです。
 
永田氏は続けます。
 
五木さん程特別な体験はなくとも誰しも意識していないところで
自分に手かせ足かせを作っているものではないでしょうか。
でもフランクル先生の本を読んでいるとそういった自分を縛るものから
解放されるんですよ。
 
フランクル先生は精神科医として多くの患者と向きあってきた中で
患者の心を解放するために
「ロゴセラピー」という独自の療法を確立されました。
 
痛みに苦しんでいる患者さんを診る場合
実はその裏に心理的な問題、社会的な問題が隠れていたり
もっと奥には五木さんのお母さんにまつわる
葛藤みたいなものがあったりする。
そういったものから患者さんを解放する事によって
自分の抱えている痛みの意味が分かって
快復に向かうきっかけを掴めたりするんです。
 
フランクル先生は亡くなる時
「私の一生は患者と共に患者の人生の意味を考えることだった」
とおっしゃったそうですが、
ロゴセラピーではとことん患者さんと向き合って
一人一人の人生の意味を見出して行くんです。
 
極限状態の中で人の生命を支えるもの
五木氏
極限状態で生き延びるのは
強い信念とか深い信仰とか
強固な肉体を持っている人だと思いがちですが
どうもそればかりではないのではないか
日常の些事、小さな出来事が極限状態の中で
人の生命を支えるという事があるような気がするんです。
 
五木氏はここでC>Wニコルさんのエピソードを紹介されています。
 
自然保護活動に熱心だった彼(CWニコル)は南極探検に参加して
風雪に閉じ込められたことがありました。
 
その時に強く耐えたのは
ちゃんと朝髭を剃る人 
相手に何かしてもらったら「サンキュー」と感謝の言葉を述べられる人
すれ違う時にぶつかったら「ソーリー」「エクスキューズミー」ときちんと言える人
つまりそういう社会的なマナーを身につけた人が
厳しい状況下で最後まで弱音を吐かなかったんだと言っていました。
 
毎日一つ面白い話を考えて笑い合おう
どのページも目が離せない奥の深い文章の連続ですが
その中でも私が一番好きな部分がここでした。
 
永田氏:
フランクル先生は収容所の中で仲間に
「一日に一つ何か面白い話を考えてお互いに笑い合おうじゃないか」
と提案して実践していたといいます。
 
五木氏
冗談などとても考えられないような悲惨な状況下で
魂を振り絞るようにして滑稽な話を考え続けたわけですね。
このエピソードには僕も大変感動してよく講演でご紹介するんです。
ギリギリの局面でもユーモアを忘れないような
心のゆとりがとても大事だということです。
フランクルさんがそういう精神の持ち主だったことも
奇跡の生還を果たす上で大事な役割を果たしたのではないかと思いますね。
 
永田氏
笑うことによって心が解放されますし呼吸が改善されます。
今の日本人は呼吸法が下手くそです。
そういう人にはとにかく笑うことを勧めるんですが
一日に一回も笑わないで夜がきてしまう人が今はとても多い。
フランクル先生はどんなつまらないことにも感動するし
感動したことを笑いに変えるのがとても上手でした。
 
五木氏
ユーモアとかデリケートな感受性とか こういうものが
意外に人間の生命力を支えて行くんだということを
改めて実感させられます。
 
大変な時代を生き抜いていくために
 
五木氏
強制収容所の記録の中で僕が特に心を惹かれるのは
水たまりに冬の木の枯れ枝が映っているのを強制労働の最中に見て
「レンブラントの絵みたいだな」と感動する。
 
収容所で二段ベッドに疲れ果てて横になっていると
どこからかアコーディオンの音が聞こえてくる
それを聞いて這うようにして窓際に行って
「ああ、この音楽は昔ウィーンでで聞いたことがある。
あの頃はこんな歌が流行ってたんだ」と心を震わせる。
フランクルさんはそういう些細なことに感動する人が
生き延びたと書いていますね。
 
人生というのは悲しみや辛いことや
不条理や納得のいかない事に満ちていると思います。
その中で思いがけなく夜空に輝く星や
地に咲く花の美しさ、
そして思いがけない人の優しさに
触れる瞬間を持てるというのは
本当に幸せなこと。
そこで得たささやかな幸せを胸に
愛を持って人に接することができたらいいですね。
 
 
今回ご紹介した対談は 人間学を学ぶ月刊誌「致知」 からお届けしました。
致知に興味のあるに方は
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紹介者情報 待井恵理子(会員番号「20185305」

        メールアドレス supereriko999@gmail.com

 

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