先の名艇1で紹介したレーサーの
次の時代が来ました。
私なりに
木原俊男デザインの次に
高井理デザイン艇が走りまくった時代
カラス
私の記憶では
「カラス」という艇を
知ったのはハーフトンのカラスでした。
高井理さんの
傑作のひとつではないでしょうか。
当時、私は3/4トナーでしたが
デビューしたカラスに
着いていけませんでしたね。
写真は42Fの高井デザインのバージョンです。
カラス様って
このカラーリングが伝統でしたよね。
最近は白ですが。。。。
高井さんのデザインの
30Fが特に速い時代でした。
緑色の
「ガメラ」艇も
その1艇でした。
ちょうどその頃
海外からも速い艇が輸入されました
その代名詞
「蝶」のマークが綺麗な
SHINKIRO
たしかカストロ氏のデザイン
だった記憶
ちょっと細身で
メインが大きくて
ジャンボブームってやつでした
セーリング中に
「蝶が現れる」洒落たデザイン
この艇も38Fくらいでしたが
40F艇に着いて走っていた。
ヘルムは
サンバード艇の名手
ロバートさんでした。
我が家にも
来て下さいました。
確か日大のヨット部が大阪まで
回航途中に立ち寄ってくれたこと
覚えております。
大型艇では
この時代のつわもの
「ZERO]
走りまくったっていう
印象です
そして
横山一郎さんの
名艇「雲柱」の登場
綺麗なハルカラーが印象
日本が生んだヨット界の天才
神様仏様「小松様」率いる
スーパーチームでした。
スーパーと言えば
「スーパ-ウィッチ」
魔女?
サンバードチームがハワイで
勝つために作った
ヤマハスペシャルでした。
この時代、次々に新しいデザインが
登場し、バブルな時代だったように
思えます。
この次には、国内デザイン艇が減り
レース艇では
ファー氏のデザインヨットが
走り暴れるまくる時代へ移っていきました。
私もこのころが
ヨット熱のピークでしたね。
DISCO-DORI Ⅱ世
DBーⅡBy バンデシュタットデザイン
私以外はすべて外国人
ファイヤーボールワールドチャンピオン
のクリスを始め
ハワイ、ニュージー、アメリカと
多国籍チームでした。
青春時代はこの船とともに
過ごしたなあ。
終わり