民主党はもちろん支持しませんが、この考えはまともに思いました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


http://news.livedoor.com/article/detail/10838501/

民主党の長島昭久氏がSEALDsを一蹴「国際関係で通用するはずがない」

 

詳報は以下の通り。

 長島氏「細野さんと前原(誠司元外相)さんが、岡田克也代表に会って『解党』を申し入れる、という報道もあるようなので、きょうは記者の皆さんもたくさん来ておられます。まず、民主党の現状をどうみるか。政権から転落して3年が過ぎましたけども、いまだに党勢は回復しないどころか、ますます暗転している。国民の信頼が全く回復していない。その根本的な原因はどこにあるのか。まず細野政調会長のほうからお話をいただきたい」

細野氏「民主党には2つ弱いところがある。1つは『安全保障を民主党に任せていいのか』と国民の皆さんが不満を持っていらっしゃる。今、10人くらいの方が『うん、うん』とうなずかれましたが、たぶんそうなんだと思うんですね。私が(政権時代に)


経験をしたことでいうなら、尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の中国漁船衝突事件に直面しました。長島さんは(尖閣諸島の)国有化のときに一番ご苦労をされました。お互いそういう経験をしてきて、やっぱり尖閣諸島のような問題については現実的な対応をしていかなければならないということが、身につまされて分かっている」


「そういうわれわれの立場から言うならば、安全保障法制への対応はどうだったのか。領域警備法案という、尖閣諸島をしっかり、海上保安庁だけではなくて海上自衛隊も守ることができるようにする法案を出せたのはよかったと思います。


しかし一方で、朝鮮半島有事という、まさにわが国の近くの脅威について対応できなかった。このあたりについて、きちっと案を出すべきだったという思いがありまして、


それが今後の民主党のあり方にも非常に重要な影響を及ぼすのではないかと思います。もう1つは経済ですね。経済に強い民主党を作らない限り、政権復帰はないと思っています」


馬淵氏「私たちが歩んできた道筋をしっかり見定めなければなりません。そもそもどういう政党を目指したのか? 2大政党の一翼を担う穏健なリベラルな保守、その勢力をしっかりと形作っていくんだということが結党の理念ではなかったか?


 国際的な安全保障環境の変化の中での、今回の安保法制への対応、はたしてこれでよかったか? 私たち3人は対案を示すべきだと言い続けてきました。そして対案の準備を求めてきたわけですが、残念ながら十分な形にはならなかった。こうしたところで、民主党がどこを向いているかというのが国民の皆さん方から分かりにくくなってしまった。これが最大の要因だと思っています」


長島氏「下野した民主党がやらなければならなかったことは何か。それはもう一度政権を奪還するために『政権準備政党』になることだったと思っています。それが、いつのまにか『何でも反対』の単なる批判政党に陥ってしまった。民主党のホームページをみてください

。『権力の暴走を許さない』。これ、ポリシーでも理念でも何でもないんですよね。ただ『安倍(晋三首相)はけしからん』と言っているだけなんです。

こういう政党に政権を任していこうというふうには、とてもとてもならない。これはまさに万年野党のスローガンですね。万年野党をやらせたら、私は、共産党の右に出る…、いやいや、左に出る政党は日本にはないと思います」


「そんなものは全部共産党に任せてですね、われわれは、もっとど真ん中の政策を出すべきだとずっと言ってまいりました。さきほどお二人からも話が出ましたけども、私は、安保法制の民主党の国会での姿勢というのは全く残念でありました。



安全保障という国家の基本問題に対してですね、院外のデモの先頭に立って叫び声をあげるだけ。まさに迎合するだけ。政治家にとっては最も安易な、誤った道を選択したと思っています。


『SEALDs(シールズ)』の学生さんも頑張っていましたけども、しかし、あんな単純な話じゃないわけです。本来、あのシールズの皆さんに対して『いやいや、安全保障というのはこういうものなんだよ』『国際関係というのはこういうことなんだよ』(と諭さなければならなかった)。


今の(パリ同時多発)テロを見てください。彼らが言っているような『戦争反対!』で通用するはずがない」


「院外の声に耳を傾けて、それを国会の議論に冷静に反映させていくならまだしも、院外のデモの先頭に立つなんていうのは、私は論外だと今でも思っています。そういう政党ではダメなんで」」ここを脱却しなかったら、私は大変なことになると思っているんです

。永遠に今の民主党のままでは政権復帰は難しい。そういう民主党を立て直していく、

あるいは乗り越えていく、これが私たちの使命だと思っています。野党結集して、もう一度政権を担う、そういう勢力を作っていく上で掲げるべき旗印、理念、自民党との対立軸、こういったことをお二人からうかがいたいと思います」



おはようございます。「葉隠」の現代語訳です。「武士道とは死ぬことと見つけたり」の一文が有名で、三島由紀夫が「ただ一冊の本」と心酔し、
彼の自決にも影響与えました。

ただ、読めばわかるのですが、ただ、死ぬというよりも、常に死を意識して
その時、その時を精いっぱいに生きるという。考えの方が強いです。

...

スティーブジョブズのスタンフォード大学で講演テーマもそうでしたね

今日が最後の一日だとしたら、
満足して過ごすことができるでしょうか?

今日も良い一日を。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

武士道とは、死ぬことである。生か死かいずれか一つを選ぶとき、まず死をとることである。それ以上の意味はない。

覚悟してただ突き進むのみである。「当てが外れて死ぬのは犬死だ」などと言うのは、上方風の軽薄な武士道である。
生か死か二つに一つの場所では、計画どおりに行くかどうかは分からない。

人間誰しも生を望む。生きる方に理屈をつける。このとき、もし当てが外れて生き長らえるならばその侍は腰抜けだ。

その境目が難しい。また、当てが外れて死ねば犬死であり気違い沙汰である。しかしこれは恥にはならない。
これが武士道においてもっとも大切なことだ。
毎朝毎夕、心を正しては、死を思い死を決し、

いつも死に身になっているときは、武士道とわが身は一つになり、一生失敗を犯すことなく職務を遂行することができるのだ。
(『日本の名著17葉隠』奈良本辰也・駒敏郎訳より)

新渡戸稲造の名高い「武士道」が英文で書かれたのには、あるきっかけがある
武士道の序文にかかれている。
『1889年頃、ベルギーの法学者・ラヴレー氏の家で歓待を受けている時に宗教の話題になった。ラヴレー氏に「あなたがたの学校には宗教教育というものがないのですか?」と尋ねられ、ないと答えると「宗教なしで、いったいどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか?」と繰り返された。私はその質問に愕然とし、即答できなかった。』

諸外国では宗教と道徳とがセットでくっついている。宗教=道徳ではないというのは、日本人にとっては、それほど不思議な考えではなかったが、キリスト教徒であるラブレー氏からは、不思議に見えたのだ。

ここから、新渡戸の「武士道」が生まれることになる。