キリスト教の「旧約聖書」では、楽園を追われたアダムとエバが、神からの罰として労働をしなくてはいけなくなったと書かれている。働くことは苦役であり、罰なのだ。

近代の歴史において、キリスト教を奉じる欧米諸国が、世界を侵略し、植民地化していくのは
「働かずに住む楽園」を夢見てのことであったのだろうか?

これに引き換え、日本神話では、天照大神自らが、機を織る仕事をしている。

仕事は、罰として与えられたことではなく、それ自体が喜びの伴うことなのだ。
(無論、苦労や苦痛もあるが)