私が社会不安障害と診断がついたのは
20歳の看護師の専門学校に通っていた時です。



今回はそれまでの私についてのお話、、うーん
幼稚園〜小学校までを。(そんな遡る!?笑)

私は両親と兄と今は亡き祖父と猫と6人家族でした。

末っ子って結構自由な
イメージなのですが(周りを見ると)。
私はなぜかいつも人目を気にしていて、素直に意見を述べることができず、この頃からすでに自分の言動が人からどう思われるかばかり考えて
いた気がします。キョロキョロ


例えばあまり誰かと遊ぶ気分でない時もお母さんを心配させないために友達と遊んでいたり、
遊びも周りのお友達の好きな事や好きな遊びに合わせて自分も好きで楽しんでいるふりをしていました。(例をあげるとおままごとの何が楽しいのか一切分かりませんでした(笑)滝汗
どちらかというと外でおにごっこをしたり男の子がわいわいするような遊びが好きだった気がします)
これくらいの経験なら誰でもあると思いますが、"みんなと違う合わない自分"を知られたくなくて必死でついていきましたね。


あまり主張ができず、お姉ちゃんがいる友達に比べると流行から遅れてる感じもあったのかからかわれたり軽く仲間はずれにされたりいじめのような事にもあっていました。本格的なものではありませんでしたが結構傷つき今も思い出として根強く残っています。
だからと言って当時は事を大きくしたくなかったので人には言えず。。


結局小学校も我が強い女の子の金魚の糞みたいに隣にいるタイプでした。
その子以外の子と仲良くしているところを見られると嫉妬と怒りの長文の手紙を渡されたり、、
今思うと可笑しいですがその時は恐怖で謝りまくっていましたガーンそれもその子にとっては悲しかったのかもしれませんね、今思うと。

なので小学校は特に友情について熱い思い出はありませんでした。小学生ながら集団ってめんどくさいなぁて感じていました。←え


反動で両親には割とワガママかというと
そこまでだったと思います。泣いた記憶ばかりです。
母は塾の教師で私もそこに習い事として通っており、塾以外の時間も「今日の勉強材料」を用意されていました。
根本的にバカで勉強が嫌いだったのと母の厳しさからそれと向き合う毎日がストレスで、
ハサミで腕を切ったり(リストカットのことはよく知らず無意識で傷つけていました)
そんなことでしか自分を保つことができませんでした。
この頃はよく死にたい(こんな未熟な年齢で何考えてるんやって話ですが)といっぱい考え、
袋を被って死のうとしたり包丁を胸の前に持ってきたことも何度かありました。


なんでそんなに死にたかったのか、
そんなに死にたいくらい苦しかったのか
と思いますが、
たぶん昔からメンタルが弱かったのでしょう。

ストレスに耐える精神と回避する方法が分からずとにかく未熟だったのでしょう。

もっと自分の思いを話すことができ、
自分から歩み寄ることができ、
甘えることができ、
もっと愛を感じる経験があれば違ったのか

両親は両親なりに愛情を持って大事に育ててくれていました。それは分かるけど常に友達の家族やドラマに出てくる家族と比べては寂しさを感じていた気がします。

今回はここまでです。
次は中学生編ルンルン