【自己満】どうでもいいことをひたすらに書き連ねていく試みその1「作業用BGM」
私は今、作業用BGMというものに凝っている。
作業用BGMという言葉の意味がよくわからないという方は、「曲を聴きながら勉強をする」という場面を思い浮かべてもらえると分かりやすいと思う。その曲こそ作業用BGMなのだ。
私がそれに凝りだした理由として、このブログのヘッダーを勤めてくださっているあずにゃん先生を描いたときに作業用BGMが私を支え続けてくれ、とても有難かったことが挙げられる。
ちなみにそのとき使っていたのは今人気絶頂中の「嵐」のアルバムだ。
私が好きなわけではない、姉が好きなのだ。 (強いて言うならニノが好きだ。)
線をなぞって色を塗る・・・そういった単純作業の中、私のパソコンの中にmp3ファイルとして保存された嵐がひたすらに歌い続けてくれていた。私が見ているのはあずにゃんであって、嵐ではない。それなのに嵐は私のためにひたすら歌い続けてくれた。ああ、なんたることだ嵐。
そのお陰で私は単調な作業に飽きを感じず、3時間もの間猫背でパソコンの前に向かうことができた。本当にありがとう嵐。毎回櫻井君のラップで吹いててごめん
と、そのような経験から、作業用BGMの偉大さとありがたさを感じ、今それに凝っている、というわけである。
ちなみに、今現在もガッツリ作業用BGMをかけている。今回は私が昔ハマっていたスーファミのゲームのサントラだ。
思えば不思議なことである。何か一点に集中しようとしているのに、音楽をかけるという矛盾。
それは結局集中を妨げているのではないのか?そのような一抹の疑問が頭を駆け巡る。
音楽というのは、ジャンルにもよるが気持ちを高揚させる作用がある。その気持ちの高揚によって、作業を続けることができる。だから、私は作業用BGMについて全否定をするつもりはない。
しかし、集中が妨げられてしまうのは確かだと思う。聴覚野を使用してしまうはずだし、音楽に気をとられてしまうからだ。音楽を掛けながら数学をやれなどと言われたら私はバカヤローと叫びたくなる。作業用BGMでも適したものとそうでないものがあるのではないかと考える。
では、具体的に適したものとは何なのか。
まず一つ目は、前述したようなあきれ返るほどの単純作業のときである。作業用BGMのおかげで飽きがこない。そこまで集中しなくても良いので、音楽があってもさほど問題がないからである。
そして2つ目は、どうでもいい作業のとき。音楽をかけてでもいないとやっていけないだろう。
適していないものとは、その反対で、複雑な作業で高い集中が求められるとき、そしてミスが許されないときと言うように言えるだろう。
そして、使うBGMには一番注意を払わなくてはいけない。特にV系やふたなり系は多くの作業と相性が悪い。
適材適所で、適した作業用BGMを使いたい。使っていってほしい。そして、素晴らしい作業をしてほしい。
作業用BGMよ、これからもよろしく。
さぁ、今使っているサントラのBGMも丁度終了を迎えた。ではこれにて失礼しよう。