1979年 オーストラリア
監督 ジョージ・ミラー
主演 メル・ギブソン

間もなく第4弾が上映される、大ヒットシリーズの第1弾。

警察官を殺害し、パトカーとカーチェイスを繰り広げるナイトライダー。
次々とパトカーを振り切り、暴走を続ける。

しかし、警察官のマックスがチューンアップされたパトカーでナイトライダーを追い始める。
するとナイトライダーが怯え始める。
「も~ダメだぁ」
すると、事故で前方に止まっていた車に突っ込み、爆発した。

ナイトライダーの仲間達アウトライダーは、マックスに復讐をしようと、彼を追う。
危険を感じたマックスは、警察官を辞め、妻と子供を連れて姿をくらまそうとする。
逃げる先々でその集団に見つかり、ギリギリで逃げ出すが、ついには妻と子供が轢き殺される。

怒りに燃えたマックスは、V8エンジンを積んだ車インターセプターをかって、復讐に出る。


何10年ぶりかで鑑賞。

突っ込みどころは色々あるが、ド派手なカーチェイスが凄い。
ハンパないスピード感、破壊のリアル感。
一体何台壊したのか。
この迫力はCGでは出せないだろうなぁ、と思っていたら、ど~やらスタントマンが2人亡くなったとのこと。
ご冥福を祈ります。

マッドマックスと言えば「北斗の拳」に多大な影響を与えたことでも知られているが、この第1弾は、まだ「北斗の拳」の世界ではない。
とても未来には見えないが「近未来」という設定だった。
まぁこの映画の善し悪しにはあまり関係ないが。

ストーリーは復讐物。
単純ではある。
ただ、マックスが撃ったり刺したりして直接殺すことよりも、車で追いつめて事故らせることが多い。
ここは一線ひいているのか?
それにしても、この事故シーンがど迫力。
2回も書いてしまった。

青い焔をメラメラ燃やして復讐をはかる、カーマニアの男の物語。

当時はV8エンジンって珍しかったんだなぁ。

2014年 カナダ
監督 グザヴィエ・ドラン
主演 アンヌ・ドルヴァル

カナダの若き俊英監督グザヴィエ・ドランの長編映画5作目。

「発達障害を持つ親は、肉体的苦痛などの危機に陥った場合、子供を入院させる権利を持つ」

ダイアンは息子のスティーヴと一緒に住むことにした。
スティーヴは多動性発達障害と診断され、しばらく施設にいた。

それと同時に職場の経営者が変わり、前の経営者との関係がばれ、職を失うことになった。

一方ダイアンの向かいに住む女性、カイラ。
窓越しにダイアンとは目が合うことがしばしばあった。

ある日、スティーヴが発作を起こし、ダイアンの首を絞めた。
ダイアンは、スティーヴから逃れようとして怪我を負わせてしまう。
隣家の異変を感じたカイラは、ダイアン家を訪れ、スティーヴの怪我の手当てをする。

カイラは教師をしていたが、何かの事情で吃音症になってしまい、休暇を取っていた。

心に傷を負った3人の共同生活が始まった。


グザヴィエ・ドラン監督作品は初。

音楽が良い。
OASISやLANA DEL REYはもちろんだが、フランスのヒット曲や、夢想シーンのBGMも、シーンのイメージにぴったりだし、3人の心情を表しているよう。
サントラが欲しくなった。

画面比率1:1という演出。
映画というより、絵画、ポートレイトのように見えた。
2人以上の人物が同じ画面に映ることはなかなかなく、1人の演技や心情をじっくりと見せる効果はあったと思う。
3人のお互いに対する愛情の強さを見せたかったのか。
何度か通常の比率になるシーンがあるが、自由を感じるシーンや、夢想シーンと、分かりやすかった。
もしかしたら、これらのシーンをより強く表現するための1:1だったのかもしれない。

ストーリーは、痛くて悲しい。
愛情の表現方法を知らないスティーヴが取ってしまう行動が痛すぎる。
これが多動性発達障害というものなのか。
そばにいるだけで、触れるだけで、抱きしめるだけで愛情は表現できるのに、それが分からない。
自分に目を向けてもらうために、誰かを何かを傷つける。
愛情というより、独占欲に近いものなのかもしれない。
最後までスティーヴの病気は治らない。
原因は何なのだろう。
映画には出てこない、死んでしまった父親が原因なのか。

ダイアンとカイラも痛くて悲しい。
息子への愛情は何よりも深いのだが、彼の行動を止められない。
愛しているのに、一緒に暮らせない。
相反する2つの感情が同居する。

また、カイラの吃音症の原因は明らかにはされない。
想像力がかきたてられて良い。
夫と娘のでしゃばり過ぎない存在が、さらに謎を深める。
何でもかんでも説明してくれる映画が多い気がする中、この演出はとても好きだ。

愛情が病気に負けてしまう、痛くて悲しい映画。

ラストシーン、スティーヴはどこへ向かったのか。。。
2013年 日本
監督 橋本一
主演 大泉洋

第1弾と同じキャストによる第2弾の映画。

札幌オリンピックで日の丸飛行隊が活躍した、大倉山スキージャンプ場。
滑降スタート場所には、探偵がいた。
今にも飛び出しそうになりながら。

ゲイパブの店員マサコちゃんが得意のマジックでテレビのコンテスト番組に出演し、優勝した。
しかしその2日後、マサコちゃんは何者かに殺された。

仲の良い友達だった探偵は、数日のブランクの後、殺人の真相に迫ろうとした。
そこに現れたのは、世界的にも有名なバイオリニストの河島弓子。
彼女も犯人を探すと言う。
マサコちゃんは、河島弓子の大ファンであったが、1ファンのために何故そこまでするのか。
不思議に思いながら、動き出した探偵。
やがてマサコちゃん殺人の陰に、政治家の名前が浮かんで来る。


原作は未読。
Part.1は鑑賞済み。

Part.1ではアクションシーンが多かったが、Part.2では大分減った。
ゆる~い学生役の松田龍平が、アクションシーンで豹変するのが面白さの1つだったのに。
そのせいか、松田龍平の絡みも減った。
2人のやり取りも面白さの1つだったのに。

犯人までの謎解きも、複雑さはなく、最後に脈略なしに判明する。
複線もなく、これまでの流れをぶった切る判明の仕方。
こんな脚本ありか?

最初の「ブランク」も意味不明。
犯人探しに結びつくなら分かるが、必要なシーンだったのか。
あまりにも意味がなさ過ぎる。
ただヤリたかっただけ?

その他にも、マサコちゃんと河島弓子との繋がりの判明の仕方とか、政治家との繋がりの出方とか、なんだか複線もなく唐突過ぎる。
全体的に脚本がダメダメ。

最初から1時間半くらいが、謎の解決に繋がらないミステリー映画。

「ススキノ大交差点」という副題は、どこに繋がるの?
2014年 アメリカ
監督 デイミアン・チャゼル
主演 マイルズ・テラー

サンダンス映画祭で作品賞を取るなど、低予算ながら話題になっている映画。

全米1の音楽大学に入学したアンドリュー。
小さい頃からドラムを叩いてきた彼は、偉大なドラマーになることを夢見ていた。

ある日アンドリューが個人練習をしていると、突然学内で最も有名なフレッチャー先生が通りかかる。
しかし彼はアンドリューの演奏をちょっと聴いただけで、黙って立ち去る。
気に入られなかったとガッカリするアンドリュー。

数日後、フレッチャー先生がアンドリューのクラスに突然やって来る。
全員の演奏を聴いたフレッチャーは、自分のクラスに来るようアンドリューのみを指名する。

翌日、フレッチャーの教室に来たアンドリュー。
緊張感の違いに驚く。
そしてついにアンドリューが演奏する場面がやってくる。
意気揚々と叩き始めるアンドリュー。
しかし、アンドリューに投げかけられたのは、称賛の声ではなく椅子だった。
「テンポが違う!」
口でテンポを取らせながら、合わせてアンドリューの頬を叩くフレッチャー。

この日から、フレッチャーによるスパルタレッスンが始まった。


あり得ないくらいのパワハラ。
椅子は投げるわ、ビンタは張るわ、血が出るまで練習させるわ、それはそれはフルメタルジャケットの鬼教官のよう。
自分も中学・高校時代は何度か先生にビンタされたが、そんなものではない。
ラスト前にチャーリー・パーカーの話を持ち出し、そのスパルタ教育を正当化しているが、都合の良い言い訳にしか聞こえなかった。
もちろん努力は必要だと思うが、あそこまでの体罰・圧力に基づく努力は、ただの作業になると思う。
考えることをしなくなり、ただ言われたことをやるだけになる。
それは成長や成功には繋がらない。
だから、フレッチャーのやり方には賛成できない。

さらに、自分の教え子が鬱病で自殺したのに、自動車事故と偽って生徒達に話すという汚い手口。
フレッチャーを正当化する必要はない。

アンドリューも子供じみている。
とにかく技術を磨こうという、技術至上主義。
さらには自分から声をかけた彼女を捨てる。
技術だけでは人を感動させる音楽・演奏は生まれない。
もちろん最低限の技術は必要だが、技術的に優れた人が音楽家として優れているとは限らない。
そして、色々な経験も必要だ。
音楽は技術でなく表現。
経験を積んだ分、その音は深みを増す。
アンドリューには分からない。
大学フットボールのQBと張り合うものでもない。

菊地成孔さんがこの映画をdisってたのは、この辺りのことが大きいのかな。
確かに、アンドリューのドラムよりも、「バードマン」のBGMドラムの方が断然カッコよかった。
ラストのドラムソロにもそれほど興奮させられなかった。

だいたい、あれだけヒドイ目に合いながら、再びフレッチャーの元で叩くってのがおかしい。
そんな選択するヤツいるか?
選択するってことは、まだ病気が治っていないということだと思う。

アンドリューの父。
アンドリューやフレッチャーには負け犬扱いされる。
しかし、私には負け犬に見えない。
自分が幸せかどうかは、地位や名誉じゃない。
それは今まで観てきた映画からも学んだし、生きてきた経験の中でも学んだ真実だ。
私はフレッチャーも嫌いだが、アンドリューも嫌いだ。

ただ、2人が苦難を乗り越えて、目指す目標に到達しようとするスポ根的な流れは好きだ。
巨人の星もあしたのジョーもエースをねらえも好きだし。
ただ、その「目標」と「苦難」が共感できない。
根本的にこの映画と合わないということか。

パワハラで、ドラムをできるだけ早く叩く人型マシーンを作り上げる話。

未練たらしくニコルに電話したって、そらぁあんたフられるわ。
2014年 アメリカ
監督 アレハンドロ・G・イニャリトゥ
主演 マイケル・キートン

2014年アカデミー作品賞を受賞した作品。
過去の映画スターが復活をかけた舞台に挑む物語。

過去にヒーロー映画「バードマン」の主演を務めて人気俳優だった、リーガン・トムソン。
歳をとり、髪は抜け、お腹は出、すっかり落ち目の俳優になっていた。

再起をかけて挑む舞台。
しかし、事故で助演俳優が交代を余儀なくされる。
代役となったマイク・シャイナーは才能豊かな俳優。
リーガンはマイクの演技に振り回される。
そのためリーガンは、マイクを交代させようと目論むが、プロデューサーの猛反対で断念。

練習、ゲネプロと進むにつれて、リーガンの不安はつのる。
「果たしてこの舞台で復活できるのか?」


アカデミー作品賞ということで鑑賞。
ストーリーよりも、カメラワークとBGMに魅きつけられる。

ワンカットかと思わせるカメラワーク。
楽屋から舞台から劇場から劇場の屋上まで、ストーリーの語り手の動きに合わせてついて回る。
動いている際の背景チラっと写る人達の姿にも目がいく。
BGMを叩くドラマーまでが写ることもある。
よって目が離せず、休めない。
次から次へと物語が展開していき、あくせくと忙しい。
「カット割り」に休憩効果があるとは思わなかった。
実際はワンカット撮影ではないと思うが、この編集はとても斬新。

BGMはジャズドラムのみ。
場面に合わせて即興で叩いているのだろうか。
昔ジャームッシュの「デッド・マン」という映画で、ニール・ヤングが即興でギター弾いていたのを思い出す。
ジャズドラムに明るくはないが、カメラワークと相まって、緊張感を持続させる。
とてもカッコいい。

ストーリーは、落ち目の俳優が復活を目指し、主演舞台を成功させようと悪戦苦闘し、現実と虚構を行き来するというもの。
主演がマイケル・キートンであることが、現実とダブって苦笑を誘う。
パンツ一丁で外を歩いたり、妄想のバードマンが現れて街を破壊し始めたり、印象的なシーンがいくつかあるが、1番の見所はラストシーン。
自分も途中から予想していたので、やっぱりなぁという感じだったが、色々な見方があるようだ。
自分はラストシーンは幻想だと思う。

ワンカットの(ような)せいで緊張感を緩めることができない映画。

舞台上のベッドで本番を始めようとするエドワード・ノートンに敢闘賞。