前回の記事を、昔の文豪風に。旧仮名遣ひにて。
と、電子頭脳に所望した結果。。。
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久しぶりに集ひあつた面々との、
うすあかりの中の即興のひととき。
久しぶりに奏でた演奏曲――
あゝ、あの頃よりは幾分か、
わたしも進み歩めたやうな氣もする。
されど、拍に追ひつけぬ仲間への、
そつとした思ひやりなど……
<かばふこと。>
それらが、ふと思へば皆、
全體のためにも、わたしのためにも、
そして相手のためにも、
<ほとんど餘計なお節介>
でしかなかつたのだと氣がつく。
そのゆゑに、嫌な思ひを幾度となく、
雨のつづく日々のやうに受けて來た。
(百歩ゆづれば、あの頃は
それも必要であつたのかもしれぬが)
ほんの、かすかに思ひやる――
それで、もう充分なのだ。
拍を刻む速さで、二つ、三つ――
そのあたりで、もう充分なのだ。
日ごろ、いろんな場面で
己が他へとそそいでゐる心づかひも、
<拍を刻む速さで二つ三つ>
そのほどの分量で、
じつは足りてゐるのではなからうか、と
ほのかに思へてきた。
それ以上になると、
かへつて物ごとがずれはじめる、
かへつて相手にも傳はらぬものなのかもしれぬ。
それ以上になると――
なにより、
わたしが、
くるしい。
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そろそろ2025年、令和7年も暮れようとしてる。
例年以上にバタバタして、あっという間に駆け抜けた。
でも、そういう中で時間をやりくりするからこそ楽しいのかな?
などと、文豪でもなんでもない普通のわたくしはふと思う。
