かなり長文です。
長いですが、ひとつの記事にまとめました。

 

旧ブログで書いた2003年3月武道館の三沢小橋戦。
ブログ引っ越しにあたり、2度目のリライトです。
ほんとは、この記事だけ書こうとしていたんですが、
自分の中で流れを整理してみたい気持ちが出てきて、
平成のプロレス振り返りシリーズにつながってます。

 

  【第一章。目撃したい試合】
90年代のバリバリのころの二人の試合には

なぜかあまり興味はなかった。
ノアになって社長業との両立で苦しみながらも

リングにたち続けた三沢さん。
そして、怪我や病で何度も欠場したが、

その都度約束どおりカムバックしてきた小橋選手。

彼らの「生き様」にのめり込んでいったのかなと、あらためて思う。

 

最後の三沢vs小橋のタイトル戦が行われた2003年3月1日。
私は日本武道館にいた。
かつて、一度だけ行われたジャンボ鶴田対三沢光晴の三冠戦。
バックドロップ3連発によるKO。圧倒的なジャンボさんの強さと
その壁に挑む三沢選手の一歩も引かない姿。

生で観なかった後悔がある。

 

しかし今度は見逃せない。「三沢小橋」を生で目撃したいのだ。
「やってる選手も楽しめる試合をするため、ノアを創った。」
「自分で一番楽しめるのは小橋との試合」三沢社長の言葉。
「プロレスファンが胸を張れる試合をやりたい」これは小橋選手の思い。
「すごいものに触れたい。」純粋にそんな気持ちで試合開始を待つ。

 

 【第二章。”信頼関係”】
”三沢のひらめきと小橋の肉体との信頼関係。”
煮詰めると、このふたりのたたかいとはそういうものではなかったか。
「三沢さんの受けは超うまいけど、小橋さんも受けは超うまい。」
とは二人の後輩、秋山氏の談。
受けの天才でもある三沢が

小橋戦では「ヒラメキの攻め」の天才ぶりを魅せる。
代名詞エルボーも、

エメラルドフロゥジョンも、

タイガードライバー91も、
そうした刹那のヒラメキのなかで生まれてきた。
そして、みなが期待しつつも怖れた断崖技も。。。
「信頼して技を出せる」その安心感が「やってて楽しい」という
感覚だったのではないかと思う。

 

三沢vs川田の主題が「どこまでなら相手を殺さず成立するか」という
プロフェッショナルレスラーとしてのプライドのたたかいならば、
三沢vs小橋のテーマは「対戦相手への絶対的信頼」であろう。

 

あの試合、中盤までは三沢社長がほとんど試合を作っている。
全日本時代から鍛えぬいたふたりの完成度の高い基礎力が光る。
スキのない攻防。
「アレがいつ出るんだ?」というという緊張感が
そのテンションをさらに鋭いものにしていた。
技を出すにしても受けるにしても三沢ペースが崩れない。
ここでの下ごしらえが、

中盤以降の「神話の時間帯」をより際立たせたと思う。

 

「いつも、精神的なコントロールを失うな!」そんなメッセージも感じる。
「キレて感情のままにファイトしてもそんな勢いは1分そこそこ。

 もはやそれはプロの仕事ではない」
三沢さんは著書の中でもいっている。
クールさと熱さがしっかりかみ合っていないと
納得のいくものにはならないし、

見ている人にもいいものが伝わらない。
そのことを無言にして雄弁に、二人の闘いは語っていた。

 

 【第三章。”生き抜くちから”】
そして、いよいよアレが出てしまう。

 

みんなが熱狂し、恐怖し、感動した場外への危険技の攻防。
”プロレスファンが胸を張れる試合”
・・・その要求の積み重ねが数年後に

   悲劇を生んでしまったのかもしれないが。

 

「プロレスとはひとが立ち上がり、カムバックする姿を見せるもの」
だから、長く見続けている選手ほど、その試合は心にしみる。
われわれはその姿に自分を重ねる。それは偽りのない気持ちである。

 

四天王プロレスといわれた闘いの中でもっとも衝撃的な断崖技。
花道からリング下場外へのタイガースープレックス。

 

「死んでしまう!!」

実況の矢島アナの絞り出すようなコメント。
ここまでやるのか?その想いがストレートに言葉にでてしまった。
言葉に出して正解だったと思う。
観る側も理性の抑制がなくエスカレートする闘いは

殺し合いでしかない。
投げた三沢にも相当なダメージ。
小橋はカウント19でリング内へまさしく「生還」を果たす。
ひざの故障からの復帰。その後は、

がんからの奇跡的復帰をしたように。

 

レスラーは凄い!”プロレスファンが胸を張れる試合”
「だけど、どうしてそこまで?」そういう気持ちも同時に沸いてきた。
あの日の解説は高山選手だった。彼のコメントはシンプルだ。

 

 「小橋健太の執念だね。」

それはきっと”生き抜くちから”だと思う。
後に、
その高山さんを死の淵からギリギリで

こちらに「投げ返してくれた」のは三沢さんだった。

と、私は思っている。

 

 【第四章。ここまでやるのか?】
リングに生還した二人のたたかいは、いよいよ激しく厳しい。
彼らにとっては、このうえなく危険な断崖技もプロセスでしかない。

 

三沢のえぐいエルボーが小橋の後頭部にはいる。
ロープでバウンドしてふらふらでかえってくるところへ
<最終兵器・エメラルドフロゥジョン>
 当時”コレが出れば100%”のフォール率だった。
 西永レフェリーのカウント「ワン」「ツー」・・・!!
そのとき私は思わず「返せ~!!」と叫んでいた。
会場にいたほぼ全員がそう思ったにちがいない。
小橋が肩を上げた!!武道館のエネルギーが爆発する。
プロレスが新次元に”進化”したのを感じた瞬間。
次にタイガードライバー91を仕掛けようとする三沢。
「ここまでやるのか?」迷いがあったように見えた。
結局、これは不発だった。でも、それでよかったような気がする。

 

繰り返す。
理性の抑制なくエスカレートする闘いは殺し合いでしかない。

 

「あなたにとってプロレスとは?」
その問いに三沢さんは言う。
「やっていて一番おもしろい。練習したものが全部出せる。

 そして、進化していくもの」
この闘いには、すべてが凝縮されていた。

 

 【第五章。すべてが一体となる】
そして”受けの天才ミサワ”の時間が来た。

打ち込む小橋にも迷いはない


<垂直落下式ブレーンバスター!>
こんどは小橋のキメ技を三沢がカウント2で返す!
 同年一月の武道館でみさわさんがこの技を受けたときは、

本当に脳天から垂直落下だったが、

この日は他の誰にもまねの出来ない、
”神の受け”に進化していた。


この二人の試合は本当に凄い。とても大きな力の塊をくれる。
しかし、三沢も、小橋も、そして声援している我々も、

すべてを出し切っていた。
試合にケリをつけるべきときが来たのだ。

 

<バーニングハンマー>の封印が解かれる。

相手が三沢さんだからこそ!
この試合で「泣きながらジャッジをしていた。」という

西永レフェリーがついにマットを三回たたき、

この瞬間、絶対王者の歴史がはじまった。

 

「あなたにとってプロレスとは?」
小橋選手のコメント。
「観ることによってすべての感情を感じてもらえるもの。
そしてファンはそれを声援として返してくれる。
”すべてが一体となる”それがプロレス」
それが余すところなく表現されていたのではないだろうか。

 

 【エンドロール。雨と、灯と、】
武道館を出て、地下鉄の九段下駅まで歩く。
激闘を目撃した観た1万6千700人の同志たちとともに歩く。
おだやかな表情をした人々の波に、優しい雨が降っていた。
「この光景は忘れないだろう」と私は思った。

 

 

・・・時は流れて、2009年6月13日。
三沢さんが逝ってしまった。

 

最後の一戦だけが危険だったわけではない。
ノアになってからのシングルのビッグマッチは
一戦ごとに、命を削るものだったようにみえる。

 

治療が必要な他の選手を休ませても、
自分ではハードな社長業も、選手としても、
最期の瞬間まで、休むことはなかった。

 

「みんなが全力でやった結果。だれが悪いわけではない」
戦友・小橋建太は言った。

 

あの日、三沢さんが打たなかった”タイガードライバー91”も
そして「三沢光晴vs小橋建太」の究極の一戦も
まさしくプロレスの「永遠の灯(ともしび)」となってしまった。