20世紀の最後、そしてミレニアムイヤー。
ジャンボ鶴田さんの死を街角の電光表示板で知る。
前年の馬場さん追悼特集で
「夜になると『ジャンボ、ジャンボ』って馬場さんが呼ぶんだ。」
と鶴田さんは言ってましたが
本当に後を追うように逝ってしまいました。
ちなみに、2019年ライバル猪木氏は、馬場さんからの最後の
手紙で「三途の川で待ってる」と対戦要求されたと言いましたが、
これは実現してません。猪木さん一流のアレなんでしょう。。
まもなくノア旗揚げ。
理想の新団体という言葉には当時とても夢がありました。
時は流れて、
ディファ有明も今はなく、あの場所はサラ地に還ってしまった。
当時は、
SWSの時みたいに
全日の川田さんやフッチーを応援してました。
フッチー対蝶野戦はしびれました。