今回も、武道家としての私にとって重要な関心事であり・・・
仮説というテーマの元に何回かに分けて自殺について呟きます。
Part2
自殺願望は異常心理
全ての生命のは自殺願望があると釈尊は説く。
西洋の思想と「Buddhism」の考えでは、この点で大きく違いがある。
西洋思想では、自殺願望は、「一部の人間に現れる異常な心理」であって、
西洋の思想や宗教では全く許せない罪でしょう。
[Eastern religions]でも、[Islam]でも、自殺は最悪の罪です。
しかし、「Buddhism」では、そうではありません。
「自殺願望 みんなにあるんだよ 」という態度です。
「誰の心にも非存在欲というものがある 」と、
だから「一人ひとり各自で気を付けないと自殺するかもしれませんよ」と言うのです。
「区別」を認めて、「差別」を非難する。
「Monotheism」と違って、「Buddhism」では自殺を大袈裟には観ません。
「自殺したら永遠の地獄で苦しむのだ」等とは説かれていないのです。
それは、「Buda」或いは「Buddhism」(違い)は認めるが(差別)はしないという世界だからです。
客観的に見れば、人はそれぞれ違うし、生き方も様々です。
それを当然の事と観ているのです。
西洋では、同性愛者を厳しく非難しますが、
Buddhism(或いは古来の武将も)では問題にもしません。
これはやはり区別よく差別なしの世界なのです。
従って、武士道や「Buddhism」では、自殺願望の人を一方的に非難する事はないと同時に
応援する事も出来ません。
このように中道、中立的な立場から、自殺という問題に対して、
どのように向きあえばいいのかを考える事が重要である。
それには生きるとはどうゆうものなのか
どのように生きるべきなのか
生きる事の何の目的があるのか
三つの問題を客観的に理解するしかないと考えられる。
「自殺」についての見方は「生きる」という事を考えれば定まるだろう。
そういうわけですから、「自殺」についてのお話ですが、ここからは、
「Buddhism」「武士道」の世界に突入して「生きる」(活きる)という事について考えてみては如何でしょうか。
尚、私なりに、私の立場から考えてみました。
武士道とは・・・死ぬ事とみうけたり・・・
如何にして死ぬるは、如何ように生きたかの事なり云々
生きる事とは、活きる事と観受けたり。
その本質は''シブトイ,,しぶとさと教わりました。
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