母は、若い頃継母から追い出されて、もう帰るまいと決心し北海道の修道院に行って
シスターになろうとした。
渡島当別のトラピスト修道院だ。
例え昭和20年代ごろだったとしても、少し調べればわかる事だと思うのだが、
トラピストは女人禁制の男子カトリック修道院である。
終身請願を立てようと決死の覚悟で北海道に行ったのに、何処か
「のんびりさん」だったのかも知れない。
私は色々と見えない世界から止められたのだと思っている。
結局、女人禁制ゆえ中にも入れず、偶々応対してくれた神父に、
搾りたてのミルクと今はよく売っている、あのクッキーをごちそうになったそうだ。
母が思い詰めた様子を知ってか、ル・アンセルモ神父とは彼が本国へ
転勤となるまでの30年間程文通をしたそうだ。
2010年だったか、母と家人と北海道旅行の際凡そ、半世紀ぶりに訪ねる事が
出来た。
結局、今でも女人禁制で中へ入る事は出来ない。
修道院までの長い真っ直ぐな道を、どんな思いで歩き、また同じ道を
どんな思いで帰ったのか。
それでも、例え酷い結婚だったとしても母にとっては下界で暮らして多分
良かったのだと思う。
きっと、トラピスチヌ修道院(女性の修道院)も母には合わなかったろう。
その縁故か、ワタシと家人はカトリックの幼稚園に通った。
まあ、ワタシは2,3か月で退園してしまうのだが。
辰宮司も北海道の方であるし、弓浜家にとって何故か北海道は、
人生の分岐点の場所となった。