欲しかったものが手に入る

今日は、母の誕生日だ。

 

母は1924年、大正13年7月20日に生まれた。

 

「アタシは、夏生まれだから。」とよく言っていた。

 

祖父は大恋愛で結婚して、子供が授かったのをとても喜んだ。

 

余りに嬉しくて、生まれる前から名前を「できた」と決めていた。

 

周りからの大反対を受けて、幸せになる様にと願いを込めて、祖父たちの名前を

 

一文字取って「S子」と名付けた。

 

本人曰く、祖父の願いとは程遠く波乱万丈の人生だった。

 

生みの母を7歳で亡くし、継母は精神疾患で義理の兄弟の面倒を生涯見るも裏切られ

 

男を見る目が無かったのか、クズオヤジに散々困らされた。

 

生涯病気と闘い、本来繊細でガマン強く人の何倍も耐える性格だったが誤解され

 

敵も多かった。

 

それでも何処か太陽の様にカラット明るく、人を惹きつける生命力を持っていた。

 

じっとしているのが嫌でお出掛け好きで、料理が玄人はだしで、手先が器用で

 

手縫いで浴衣でもなんでも縫い、セーターも何枚も編んだ。

 

下町育ちのお節介は、後ろ足で砂を掛けられると分かっていながらも良く

 

人の面倒も見た。

 

組紐(帯を結ぶ紐)を組み、鎌倉彫をリウマチの後遺症の痛い手で彫り、美味いモンと

 

旅行が大好きだった。

 

しっかりしている”家人”には後を任せられると安心し、見えない世界を視ている

 

私の事はきっと生涯、何を考えているのか理解出来なかっただろう。

 

戦争を乗り越え、嫌をなしに現実世界を闘ってきた母と、視えない世界の

 

こんがらがりの綾取りと闘う私とでは全く住む世界が違った。それでも、

 

残りの人生を考えると、母に負けずに前のめりに生きなければと思う。

 

来年は、13回忌だ。

 

私も、前厄を迎える。

 

今日は、家人の友人が送ってくれた鰻で、生誕100年のお祝いをする。

 

デザートは、これまた母の好きなリンゴを良く煮込んだアップルパイだ。

 

シュナイダーさんが良く働き、心地よい。

 

母は実の妹と子供の頃からよく酒を飲んでいたそうだ。

(昭和初期の事に付きご勘弁。)

 

鰻と一緒に日本酒を一緒に出そうか。家人の着けた胡瓜の糠漬けと、好物の茄子を

 

油で炒めて たっぷりのショウガ醤油を添えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

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