あの女性を思い出すと、今だに何とも言えない気持ちになる。

 

お朝事が終わって、住職と別行動となり境内の中を色々お参りする事にした。

 

何処へ行くかと考えていると善光寺の法被を着た案内係りの女性が話し掛けてきた。

 

『お仲が宜しくて、良いですね。』

 

母は目立つのか?そういう時に良く、話しかけられた。

 

「急に思い立って。」

 

そんな話をしていると女性が、

 

『私は、阪神大震災で家族を全て失って一人になりました。だから、ここで

 

お手伝いをしています。』とほほ笑んだ。

 

「じゃあ、今 お幸せですね?」

 

母は 何て事を言うんだろうと、ドキドキした。

 

少し間があって、その女性は

 

『そうですね。』と頷いた。

 

あの時の あの女性と今 私は、ほぼ変わらない年齢かと思う。

 

何を以てしても 一人になった 寂しさ、悲しさは 消えないだろう。

 

だが、生きる道がある事。そして仏さまの近くで生きられる事は、ある種の幸せ

 

なのかも知れない。今ならば、そう思う。

 

確かに母も、実の母が早くに亡くなり、精神疾患の継母から家を追い出された。

 

母もある種の、孤独にあった。

 

最後の十数年は、本当に良く 【お出掛け】をした。病気もしたが、楽しい時間も

 

多く過ごせたと思う。

 

形は違うが、母は自分の生い立ちとその人の気持ちを重ね合わせたのかも知れない。

 

そう云えば母も、シスターになろうと思ったと言っていたことを思い出した。

 

母の車椅子を押しながら、今を 大切にしようと思った。

 

境内には 若木に鮮やかな桃色の花が 沢山咲いていた。