母の葬儀は浄土宗で行った。
祖父が「ウチは浄土真宗(門徒宗)。」と言っていたので、どうしようかと思ったが、
葬儀社のMさんが「宗派に拘らなければ、お経の上手いお坊さんを知ってるんですよ。」
母はお経の上手さに拘っていた。是非、とお願いした。
葬儀の最中 いつの間にか母は白装束で現れた。
阿弥陀如来が先導し、右手を観音菩薩、左手を勢至菩薩が母の手を取り
ご住職の、さわやかな読経に乗って、天に昇って行く様子が視えた。
母は ひとりで還ったのではなかった。
四国遍路は同行二人と言って、 お大師様が常に傍にいて下さるそうだ。
私は、四国八十八か所霊場は数か所しか行っていない。
お大師様に「お遍路の時やっぱり、ずっと一緒なんですか?。」と聞くと
『そうだが、その時だけじゃないぞ。願えばずっと共にあるぞ。』と仰った。
乞い願うならば、もっと、もっと、ずっと 傍にいて下さるというわけだ。
勿論、母だけが特別なわけではない。
願えば、誰でも、仏さまは傍にいて下さる。
母を見送った悲しみが癒えるのは 時間がかったが、この光景を
見られたことは、ながく、私たちの救いとなった。
だから、阿弥陀様にお会いした時は、いつも お礼を申し上げる。
あの時の阿弥陀様とは違っても、
「必ず伝える。」とか「聞いている。」と言って下さるからだ。