東和油脂の朝倉哲也は、11月18日の金曜日に現金輸送人を襲って1800万円を強奪することを手始めに、あの手この手で金を集め会社でも大株主となって計画通りにのし上がって年が明け、3月15日にスイス航空の旅客機で日本を去ろうとして完結する。これが『蘇る金狼』という物語なわけです。


しかしこの野望を見事に達成して終わる原作小説と、最後の最後でまさかの裏切りに遭って終わりとなる映画の違いはあるけど、これは大筋というか朝倉の目指した意志としては違いは無いのでしょうか? あるいはそこで、映画の方の朝倉は原作のようには非情に徹しきれていないということでしょうか?

以前は映画の最後の京子の亡骸に赤い航空券を放り投げることから単純に、京子も国外に連れて逃亡するつもりだったのかと思っていました。 ただその意志をまだ伝えていなかったことから、利用され棄てられたと誤解した京子に刺されてしまったと。
しかし考えてみると何故それを伝えてなかったのかもだし、国外逃亡の直前と思われる時に何故人気の無い廃墟のような場所に連れてきたのかという事も考えてしまいます。 そういえば、このシーンや磯川との取引に使われた海堡って一度は行ってみたい場所ですね?

で、原作の小説にしても結局最後に口封じとして殺害はするものの、耐え難い悲痛さを忘れようと痛飲して眠る描写はあるし少なからず情が湧いているわけで、やはり映画も国外脱出の前に自身の湧き上がる情を押し殺しながら殺害するつもりだったのか?
1960年代初頭を舞台とする原作とそれから15年も後の映画では、そもそも小説と映画ではどうしても演出とか見せ方が違ってくるというのはあるし、そういう部分は突っ込まないつもりだけど、映画の方の朝倉の真意はどんなものだったのでしょう?