はっきり言って、容量・・・・?Lはわかるけど、dLって??
だから、容量はわからなかった
そのときの私のテストの結果は70点・・・・授業を聞いていてもわからないのだから、仕方ない結果だった
でも、私の親はじゃあ、わからないところをわかるように説明しようという思考は持ち合わせていなかった
「どうして、こんな点を取ってくるの」 「こんな点を取ってくるようでは、お小遣いをやらない」 「もっと勉強しなさい」 「これから、80点以上を取ってきなさい」
今思えば、母親もこの内容は理解していなかったんだろうなって思う
それから、母親が勉強で優位に立てる漢字・・・・そればかりは毎日1ぺーじずつやらされた
そして、自由勉強として、当時B5判だったが、ノート1ページ分の勉強も追加
もちろん、学校の宿題もやった
このころは、私の思考は勉強をするものではなくて、させられるもの、辛くて苦しいだけのものになっていた
そして、私は悪い結果のテストを親に見せられなくなった
家に置いておくと、すべての家探しをする親の存在を知っていたから、学校の机の中に置いて行った
その後、小学校を卒業するまで、それは続いた
そして、私にとっての最悪の日は父兄会・・・・授業参観は問題ない 適当なことを手を挙げて発表すればいい
しかし、最悪はその後の懇談会・・・母が学校に来ないことを祈ったがそう甘くはなかった
そのため、私は卒業するまで、懇談会の夜、めちゃくちゃ怒られ続けた・・・・私の中ではテストのたびに怒られるよりはましだった