私の資格試験の内容を知った人が。


パパスさんは、現状に対して批判的で、しかもそれを変える知識をもっている筈だと。


それなのに、現状を変えようとは思わないのですか。


そう聞いてきた。


まあ、少し言い方を変えると、そう取れる質問をしてきたと。





うーん。


まあ、それは、どのレベルかによる。





私の裁量の範囲内なら、やってもいい。


が、その実現に、私の上司が汗をかかねばならんようなら。


あるいは、その結果に、上司が責任をとらねばならんようなら。


その上司による。






技術士として、これはどうしてもやっておかねば組織がまずいことになる。


それが予測されるなら、人間関係がどう破壊されようとも(苦笑)


断固としてやらざるを得ないし、やってきた。


福島原発の注水じゃないが、なかには独断といわれる危険を冒したこともある。






しかし、その実行が、組織にとって致命的でないなら、


上司が積極的ならともかく、消極的あるいは嫌悪感を出すようなら


変える気はしない。中年になった今ならだ。


(若いときはそれでも横車を押して、排斥されちまったが)




やりたくないことを上司がメインでやらねばならない。


そんなのは、どうせ実現しないか、使い物にならん代替案でお茶を濁される程度で終わりなのだな。


なおかつ、望まぬことをやらされた上司との関係が破綻する。


わかりやすく言えば、サーバを要求したとして、上司が折衝を嫌がって


ゴミ山からみつけてきたPC-8001mk2を渡してくるとかだ。


人間関係を優先するなら、これを使って問題解決せざるをえなくなる。


効率を優先するなら、それをゴミ箱に捨てるべきだが。


しかしその代替案が妙案だと信じた善意の上司とは、決定的に破綻する。


そうなるかどうかは、人間をみていればわかる。







まあそういうことなのだが、それを聞いた人間は納得しなかったようだ。


やる気がないという印象しか与えなかったっぽい。(苦笑)


私は、正直にそれを説明すべきではなかったかもしれんなあ。


と、若い人の反応に、ちょっと遠い目をしたりする。





改革はいい。


しかし、それにもTPOがあるのだ。


ごり押しを常にやると、本当に必要な時、致命的な場所で感情が爆発するから、


技術士として致命的と感じた部分以外では、時に妥協も必要だ。


と、思っているが、どうなんかなあ。




若いときの私だったら、今の自分の考えを非難したかもしれん。(悩)