カットスタジオ ツカモト
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不定期企画、ボウリングの歴史シリーズ
1861年、長崎出島近くの外国人居留地で発行されていた英字新聞にボウリングレーン付きの社交サロンが新装開店されるという広告が掲載され、これが日本で初めてナインピンボウリングが持ち込まれた。
という記事を前にも書きましたが、その後大衆にボウリングが広まるまでは100年近くかかったそう…
その後、1952年12月東京都青山に民間初の『東京ボウリングセンター』が設立されたのも以前の記事に書きました。
民間初のセンターに至るまでは…
第二次世界大戦後、アメリカ軍基地内でボウリングが楽しまれるようになり、敗戦後1年足らずで日本各地にある20数ヵ所のアメリカ軍基地内にボウリング場が建設され、敗戦後2年で計400レーンまで急増していったそう
レーンはアメリカ国内で生産されたものを3つに分割して、10レーンコンディションずつ大型軍用輸送機に積み込まれピストン方式で日本に空輸されたそうです
当時のレーンはもちろん自動ではなく手動で『ピンボーイ』と呼ばれる従業員がピンを直していた。
そのなかには、レーンのメンテナンスや研磨、競技会の運営方法などを覚えていき、国産ボウリング場を経営していく人が現れるようになった
当時のアメリカ軍基地は日本人向けにハンバーガーやコーラなど未知の飲食物や文化を紹介する場でもあった
アメリカ発の種目として紹介されたボウリングは、当時の若者たちにとって憧れの対象になっていった
1950年頃になると民間ボウリング場建設の気運が高まっていった。
外交官や商社マンなど、実際にアメリカに渡ってボウリングの魅力を吸収してきた人たちが増加した。
1949年、ボウリング場の建設・営業を定款に入れた『株式会社日本ボウリング』が設立された
こうして、民間初のボウリングセンターが出来上がったのです。
(参考資料 ボウリングの社会学)
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