城山三郎さんの「辛酸」を読む | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!



最近、ジルはへんな恰好で寝てる。半目状態でウトウトしている(^^)







さて、今回の読書も歴史ノンフィクション。
城山三郎さんの
「辛酸」
である。城山三郎さんと言えば、あの鈴木商店、金子直吉の米騒動への冤罪を晴らしてくれた「鼠」で知る作家である。


「辛酸」、タイトルからして辛い。本書は明治時代の国会代議士であった田中正造氏が国や県などを相手取って、足尾鉱山鉱毒事件にからむ渡良瀬川改修によって住む地を追われた谷中村の人々を救おうとした実話である。

そもそも渡良瀬川は利根川の支流にあって、豪雨時など合流地点から渡良瀬川は流れが止まり、排水が出来なくなる。周辺は多大な災害水害を被ってきた地である。明治期になって、一帯を貯水池機能を持たせようとした国の計画が持ち上がり、無理矢理、なんの補償も無く住民たちは退去を命令された。本書はその辺りから始まる。


田中正造はもともとこの地のものでは無かったが、国などから受けた国民である住民たちと立ち上がり、法廷で、極貧の中、沈みかけた谷中村で、闘った。まさに辛酸である。


たしかに、河川構造、洪水時の流水と地盤高などの要因から確かに水害が昔から多い場所なのだろう。河川改修計画や貯水池計画は河川管理上、妥当なことかもしれない。近年の高知の土佐市を流れる仁淀川と支流波介川の関係に近い。あれも住民と市が対立したりして、結果、40年以上かかり、新居地区の住民たちが多大な犠牲となり波介川を海洋へと直接排水するよう完成した導流堤区間がある。明治期には多数のお雇い外国人技師デ・レイケ氏などが入り河川改修計画ち立てて行った時代だ。この渡良瀬川改修関連もそうした河川抜本的改修の一部かも知れない。



しかし、本書にあるように、当時のやり方が相当汚いというか、計り知れない苦渋を住民に押し付け、死人も何人も出ている。理不尽な進め方に最後まで抵抗した田中正造、住民たちはその低地に住み続けて抵抗する様は人間の尊厳である。



渡良瀬遊水地の歴史HPに詳しくあります。




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