仁淀川町のパワースポット9/武田勝頼墓所、大崎地区 | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

さて、自薦的、仁淀川町の
パワースポットを紹介します。
第9弾!は、歴史伝説地から。



今回は
仁淀川町大崎地区

ここは、あの戦国武将である武田信玄の後継者の
武田勝頼伝説地である。


武田勝頼土佐落人伝説


名だたる戦国武将・武田信玄の四男であり、甲斐武田家20代当主の「武田勝頼」は、定説では天正10年(西暦1582年)天目山で自害したとされています。
しかし、
仁淀川町に残る影武者説によると、「武田勝頼は織田軍に敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ちのび、その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に入り、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で逝去し、鳴玉神社に葬られる」とあります。(仁淀川町及び佐川町に残る武田家系図に記録)



勝頼公の墓所は、大崎地区の
鳴玉神社にある。







このことは、歴史ミステリーとして、まことしやかに
この地に伝わっているのは事実である。

「おおさきげんば」(大崎玄蕃)として
当地には昔から
「玄蕃まつり」が行われてきたのである。
これは昭和50年代頃の様子。しかし、今は。。。。



この地へなにがしかの
大きなパワーをもたらした。。。。
と言えるかもしれません。
いままでも、そして、これからも。。。。

武田勝頼伝説の詳細は → 武田勝頼土佐の会HP




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