仁淀川・四国カルストジオパークの活動が以下の6ケ町村で始まっています。
日高村、佐川町、越知町、仁淀川町、津野町、檮原町。
仁淀川町では、観光産業の雇用創出、向けて、動き出しました!
まだまだ、住民の手で。。。。しかし、確実に行きたいと思います。
ジオ観光コンテンツ調査、ガイドの養成とモニターツアーの検討は同時に行います。
ま、かたひじ張らず、いかにして「感動させるか!?」である。
そして、ここにしかない地域資源を生かした「旅」を創る。
具体的にジオパーク協議会の予算を若干活用させていただき、ジオモニターツアーを検討しています。
この日、2011.1.15 極寒の仁淀川町の安居渓谷を地元の方に案内してもらいながら、現地のスポットを調べていきました。
今の時期はとーっても空気も澄んで、ひんやりとしている安居渓谷!
宝来山を望む。ここから、モニターツアーもスタートするだろう。
まるで、中国の水墨画に出てきそうな、仙人が住んでいそうだ。。。。
地元ガイド役をやってくれた伊藤さん。
佐川地質館からは助っ人で橋掛館長さんもジオパークの説明をしてくれ、私たちにこの地形の成り立ち、重要性を話してくれました!
この渓谷の成り立ちは「浸食」ではなく、巨大な地球のエネルギーによる「隆起」によってできあがった渓谷である!山頂には貝の化石もあるという。
この成り立ちを現地で話し、山々を見れば、まさに納得である。。
秋の11月初旬ごろの安居渓谷は、色とりどりの紅葉の山となるのだ。
樫山地区の上方まで上がってきたら、これ以上は進めない。凍結していました(汗)
この先には「昇龍の滝」がある。
湧水は凍り付き、みごとなツララとなる!
2メートル近い長さになるツララもあった!
今回、参加してくれた高知大の学生さん。かれらの驚き具合は、逆にツアーの参考になるぜよ!
この寒さに「昇龍の滝」は完全に凍り付き、時々、「ゴツゴツ、バキバキ!」っていう音がしていました。
この安渓渓谷の奥部には、安居銅山跡があり、藩政時代より、その搬出の道、つまり「安居銅山古道」があったのだ。
人が通るくらいの道幅しかないが、ここを苦労して掘り出し、採り出した「銅」をどうやって運んだのだろう。。。。馬だとも言う人がいるが、はたして。。。
「昇竜の滝」のかたわらには、「縄文桂」と言う、1万年以上前に繁茂していた木の化石!
「縄文桂」がある。樹齢は何千年であろうか???
我々は、恐る恐る、さらに奥部に入った。
(案内役の伊藤さんは余裕で軽トラを飛ばす~うお!)
おんや?
野性の住人達の足跡が。
これは、サル??指が人みたいだ! こっちは、ウサギ?
いろんな種類の足跡があり、山の豊さを感じた。餌をさがしてさまよったのか?
安居銅山跡に着いた!
今は、当時、1千人以上が住んだという、この地。銅山跡だという山には木々が生い茂り、わずかに石垣やその他の痕跡がわずかに見れる程度だった。映画館、学校、神社などもあったという。。。
だれが作ったのかな?
こんな看板がありました。まさに、国(土佐)あげての採掘事業だったのだ。
仁淀川町には他にも銅山跡があるが、そこにも、ここにもいろんなドラマがあったに違いない。
町史を読むと、一攫千金をねらった人々の採掘届も多く出ていたという。
安居渓谷の「乙女河原」には、「カナハダ」と言う、精錬クズが、落ちています。
拾ってみると、こんな感じの重い、石のような、金属のようなカタマリ!黒光りしている。
当時の銅の使途は?日本の経済状況など話をすると、より、ツアーとしても面白いかも。
拾って帰ろう。
パワーストーン???
「飛竜の滝」の手前には、こんな岩を抱いた木が生えている!
なんだか、自然の凄さを感じてしまいます。
「飛竜の滝」である!
一部、凍っています!
せっかくなので、記念写真じゃ! おお~すげー♪
この地域資源を、ツアーとして高めていきたい!
2月にはモニターツアーを行うので、その検討会も行いました。ガイド内容、ルート、食もからめよう。
ジオ観光もマネジメントしていく能力と気力とが必要だ。そういった地元力を高めよう!
まあ、見てて下さい、がんばります!!
ぶいっ!!っと ( ´艸`)
(によど自然素材等活用研究会 井上会長さん)
今日はお疲れ様でした!
案内役の伊藤さん、ありがとうございました!
地域の高齢者の皆さんの知恵と経験、知識を生かしていこうや!
SEE YOU!!