私という人間の記録を残してみたいと思い、こうして筆を執っている。

私の名は花蘇芳。同名の花とは何ら関係がない、日本という国の片隅で細々と小説を書いている、一人の物書きである。本業は会社員だ。将来的に物書きが本業になればいいと夢を見ながら、平日は至って不真面目に会社員をして時間を消費している、日本中どこにでもいるような社会人である。名前だけ覚えてもらえればそれでいい。それ以外の属性は、私が私を語るうえであまり大切なものではない。少なくとも、この記事を書いている時点では。

さて、それでは何から語ろうかと思った際に、ただ人生を語っても大して面白みがないので、目の前にあるものからお題を取ってみることにする。私の前にはこのPCとスマートフォン、それから一杯の珈琲がある。珈琲。これはなかなか良い題材に思える。

この記事を読んでいる人は、日頃珈琲を飲むだろうか。飲むのであればどんな珈琲を飲んでいるだろうか。豆から挽く?粉を買ってくる?或いは液体のものをそのまま買っているかもしれない。カフェオレやカフェラテ、珈琲ゼリーというのも一種の珈琲だ。要はあの独特の苦みがあれば良い。そういう意味で、珈琲というのはとても自由な飲み物であると私は感じる。あれだけ苦みが強いのに様々な商品になって愛されている。不思議な飲み物である。

私にとって珈琲とは、仕事を始めるきっかけになる飲み物だ。一日一杯、職場であれば紙カップの珈琲を買うし、自宅で執筆をするのであればインスタントの珈琲を淹れている。豆にそこまでの拘りはない。強いて言うならば酸味が強い方が好みであるので、何となくそういう味の粉を買っている。特別に好きかと言われるとそうでもないが、ただそこにあると落ち着く飲み物、それが私にとっての珈琲だ。

では私はどこで珈琲の存在を知ったのだろうか。思い返してみると、それは幼少期の生家での記憶にまで遡るのだと気が付く。私の両親は、毎朝一杯の珈琲を飲むのを習慣にしていた。豆を挽くためのコーヒーミルはどっしりとした木と鉄でできていて、幼い私はたまたま早起きして父母がそれを出しているのを見ると、気まぐれに手伝っては豆が削れる感触を楽しんだものだった。

ごりごり、ごりごり、と。一定の間隔で豆を挽いていく感覚を、今でも何となく覚えている。挽いた粉が木の容器に溜まるのを見るのは面白く、挽きたての豆の香りは実際に淹れられた珈琲より鮮やかで、私はその香りがとても好きだった。これだけ良い香りがするならば味もさぞ素晴らしいのに違いないと、渋る親を説得して飲ませてもらった珈琲が大して美味しくなかったことは、子供らしい思い出である。あの時の珈琲は、さてどうしたのだったか。多分両親が代わりに飲んだのだろう。幼い子供が飲み切れたとは思わないから。

子どもの頃は飲めなかった珈琲を、砂糖なしで飲めるようになったのは、確か高校生の頃であった。当時の私はそこそこに不真面目で、時折学校を早退しては喫茶店で珈琲を飲みながら小説を読んでいた。そういう行為に憧れていたのだ。サボタージュをして不道徳なことをするのではなく、あえて読書という少しだけ真面目なことをする。読んでいたのは当時流行っていた推理小説やライトノベルであったように思うが、私にとってはそれは精一杯の背伸びであり、制服を着て珈琲を飲むことには一種の背徳感があった。今思えば贅沢な時間の使い方をしていたものだ。もしも過去に戻ることが出来るのならば、私はあの瞬間に戻ってもう一度本を読むだろう。それくらいには充実していた。両親にとっては噴飯ものであろうので、この記事が彼等の目に留まらないことを祈っている。

それから時が過ぎ、気が付けば珈琲は私にとっての日常に成り下がっていった。それが良いことなのか悪いことなのかは、私には分からない。今も机の上にある一杯の珈琲を飲みながらこの文章を綴っている。珈琲の苦みと酸味が口の中にある。砂糖もミルクも入れない珈琲が私は好きである。それは幼い頃の思い出の味であり、高校生の私の背徳の味であり、大人になった私の日常の味だ。いつか、もっと年を取ったのならば、もしかしたら珈琲は私にとって安らぎの味になるのかもしれない。そう思えば、珈琲という飲み物は私の人生の一部であるのだろう。そのことに不思議な感慨を覚えながら、そろそろ筆を置くことにする。二杯目の珈琲は、さて、粉を換えてみようかな。