予告したとおり、今回はエジプト美術の中でもイレギュラーといえるアマルナ美術についてです!
第18王朝の王、アメンホテプ4世は、それまでエジプトが信仰してきた宗教観を大きく覆します。
この時期、都テーベで神官たちの力が強くなり、アメンホテプ4世は嫌だな~と煙たがっていました。
神官たちはアメン神という神様を主に祭っていたので、神様に近い人物集団であった神官たちには、王様であっても強い口は利けなかったのです。
そこで彼は「今日から俺は、この神様を信仰するよ」と言って、アメン神でなく唯一神アトンを崇拝しだしたのです!
そうすれば「きみたちの神様はうちの神様と違うから」と言って、神官の言うことを聞かなくてすみます。考えたね。
でもこの改革、ものすごいことです。
それまでのエジプトは多神教でした。それが急に、「一人の神様だけになったからね☆」と方向転換しちゃったんですから。
宗教観が変わっちゃうといっても過言ではない。
しかもそれにあわせて都を移しちゃったり(テーベ→テル・エル・アマルナ)、自分の名前をイクナートン(アトン神に愛される者、という意味)に改名しちゃうくらいの力の入れようです。
じ、自由すぎる・・・
まわりに仕えてる人は(゜д゜)こんな顔してたんではなかろうか。
さて、そんな破天荒な王様のもとで生まれた美術がアマルナ美術というわけです。
これまでの話だけでも、この時期がエジプトの歴史の中でかなり特異なことがわかりますよね。
美術ももれなくこの影響を受けます。
まず第一に、神官たち、つまりエジプトの歴史を受け継いだ伝統ある者たちの言うことをきかなくても言いわけですから、形式から外れてしまいます。
形式、というのは前回お話したような、かたーくて、まっすぐ前を向いてて、みんな同じポーズで・・・と言ったような、作品に見られるきまりのことです。
分かりやすく彫刻の分野で言うと、写実的表現が目立つようになります。
以前はどうだったかというと、形式に当てはめてる点で個性がなかったし、理想化も激しかった。
それの逆をするようになるので、つまりは本物とそっくりな物が良いとされます。
彫刻も、本人に似てれば似てるほどいいし、自由に表現しちゃってOK。
代表例が《王妃ネフェルティティ胸像》BC1365年頃 です!
(画像元:ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3 )
ね。ぜんぜん違うでしょ。
アメンホテプ4世の奥さんらしいんですが、かなり人物の特徴があらわれてますよね。
きっと奥さんは本当にこういう顔をしていたんだろう・・・
実はこれを「写実」といっていいのかどうかはちょっと問題なんですが、とりあえずここではややこしいので伏せておきます。
そんなアマルナ美術ですが、アメンホテプ4世が死んじゃうとすぐに伝統のエジプト美術の流れに戻ってしまいます。
やっぱみんなついていけなかったんですね・・・
けれどエジプトの長い歴史の中で、短い間だけでもこんなに毛色の違った美術が生まれていた事実は見逃せないですね。
人と違ったことをするのって勇気要りますけど、記憶には間違いなく残る。
そんなものでしょうか。
えー次回は場所を移しまして、ギリシア・ローマ美術にまで話を進めたいと思います!
面白おかしく語れるといいのですが・・・資料集めがんばります!
