長くて嫌になったけどどーしても揚げたくて頑張りましたわ~(@@)
アイドルの辞書的定義がなんなのかははっきり分からなけれど、
単純に崇拝する人を指し示す言葉ならば我が国にてアイドルという意味がどこかおかしく歪曲されていることには間違いがない。
そうならば正確にアイドルというとは何をいうのだろうか?
ビートルズもソテジと子供たちも一時はアイドルだったというのに。
なんであれ今のアイドルが概して企画会社の意図的企画の元で派生した一つの企画商品ならば
彼らの未来は10年20年以後を眺めるのが難しいものが大部分である。
長く持って5-6年の寿命の元でそのすごいエチョティも
約4年間の寿命で生を終えるのだがとても特別なケースではなければグループのアイドルという名前一つで一生を約束するのは難しい事が正にアイドルの宿命であり呪いじゃないかと思う。
他の見方をすれば桜の花と同じ存在というか。
春の日はきらびやかだが、その瞬間は永遠でなく短く終わってしまう幻影と同じ存在。
なので大部分のアイドルは個人活動というものをやる。
グループ活動の限定的な制約がある中で見せるダンスと踊りだけでは渇きするし成就感も減るから。
そして何より未来のために限定された期間のアイドル活動にだけ投資するのはどうしても不安なはずなのだ。
その中で最も歓迎される個人活動は誰が何といってもドラマや映画のような演技者になることだ。
レコード産業がほぼ死んでしまった大韓民国芸能界で
それなりにトップスターにのぼる可能性が最も高いジャンルでもあり機会だけ捕まえれば一生の未来を保証されることもできる華やかな職業だ。
一番も安定的であり一番も成就感も大きく一番何かを一人でやり遂げたという自信も生まれるほどの職業だ。
グループ活動に打って全て自分のものを持つことのできないアイドルメンバーには一番も満たされた自分の仕事という喜びを抱かせる職業になりえる事だろう。
ここのJYJのキム・ジェジュンは
1世代アイドルでも2世代アイドルでもない中途半端な位置で1世代と2世代の積集合の中心に立っているアイドルといっても過言ではない華やかな光栄の時期を送ってきた。
その間痛みもあって傷もあったけれど
次第、相変らず国内外の冷めないアイドルとしての人気を享受している彼も避けることができなかった事が正にメンバー別個人活動だ。
すでに日本で出て長いという若い日本の新鋭たちと演技競合を競ってみせたことがある彼だったけれど
その作品一つだけではまだ確固としたハンコをカンカンと押してとても上手ですね、と言うことはできない水準の初演技挑戦だった。
以後天国への郵便配達人とかいう作品をハン・ヒョジュとともに撮影したという話は聞いたけれど
その作品もやはりキム・ジェジュンが演技者として安全なのかに対してはクエスチョンマークを作るほかはない作品だった。
理由は二つだ。
一つはあくまでも二つの作品共すべてアイドルキム・ジェジュンの名前の価値を使った小道具らしい作品なので演技を評価するほどの作品になれないめであったし
また、一つは筆者がキム・ジェジュンという人を思い出す時必然的に連想するまったく俳優として似合いそうにないマイナースティックなイメージのためだった。
筆者が考えるにキム・ジェジュンは俳優というイメージとは完全に相克化された人物だ。
彼は誰よりもアイドルという定義を下ろせばその名前そのままの絵として刻み込まれる程完全にアイドル最適化型から生まれた顔とキャラクターを持った人物であるためだ。
アイドルと俳優というものは即似ているように感じられながらも、また、一方で180度違う絵を描いて示したりもする。
飛び出さず周辺とよく同化できて
僕と君の話を拒否感なしで解いていかなければならない俳優というジャンルに
異質感が強くて舞台だけで美しい顔のアイドルのイメージは完全に相克だと考えられるためだ。
実際に舞台の上ではナムシン(神のような男)声を聞きブラウン管中に入ってきて失望という評価を受けたアイドルがどこか1人,2人だったか
私はキム・ジェジュンをやはりそのような類のいや誰よりそのような類に近いアイドルだと思った。
やむを得ず彼は非常にアイドルのようにできたし容貌から凄く飛びぬけて異質感が感じられるところに声がやはりノーマルとは言うに難しい独特にハスキーなボイスカラーを持っている。
同じグループのパク・ユチョンが
そのまま最初から俳優だったといっても無理がない平穏なペースに安定した声を持っているのと正反対にキム・ジェジュンは俳優とはとても相克の人物という考えしか浮かばなかったためだ。
こういう状況で演技者になりたければ方法は一つだけだ。
漫画原作素材のペンシティ的な作品で漫画なのか本当なのか識別ができないキャラクターを演技することだ。
それ以外なぜ今は仲が刺々しい某企画会社で製作するという美しいあなた、と同じような作品だ。
ならば比較的異質感と表現される容貌や雰囲気も緩和されて似合うとように見えるだろうし不足した演技力も魅力だと隠せるんじゃないだろうか。
ところで意外にもキム・ジェジュンが選択したのは正攻法だったのだから...
彼が選択したボスを守れという作品は
トリックが通じない国内の、正劇ドラマでありチソンとチェ・ガンヒという同じ年頃の俳優でもない、すでに何度かの正劇経験がある傑出した大先輩たちと一緒に呼吸を合わせなければならない。
このように完全にアイドルオーダーメード型漫画素材ドラマでもなく
企業ドラマの重量感があるドラマの中で誰より俳優です、という荷札を付けて活躍する大先輩たちと共に異質感あふれるハンディキャップいっぱいであるキム・ジェジュンがどんな絵を見せることが出来るかに対しては期待さえしなかったと見て適当だ。
ボスを守れという事実叱るところが別にないドラマであった。
リアルと漫画的想像力を適切に混ぜて、
とても重くもとても軽くもない雰囲気で作り出す完成度ある完熟した台本から出るしっかりとしたキャラクターたちと適切なユーモアセンスは
既存のドラマたちでは見るのは難しい演出力とストーリーであり俳優チソンの楽しいギャク表現力とチェ・ガンヒの惜しまないで壊れる情熱の演技力はもちろんで
助演俳優らまで演技力の塵を捜し出しにくい程すべての面にほぼ完ぺきを見せているドラマであった。
こういう状況にアイドルが一人入り込めば状況は明らかだ。
皆が完ぺきだがお前一人が汚点とし後ろ指を差される絵。
だが、意外にキム・ジェジュンが受ける評価は蔑視や背を向けられることではなかった。
そんなに悪くはないじゃない?から今やチャ・ムウォンはキム・ジェジュンでなければ出てくることはできない絵という満足な評価まで。
筆者もやはりボスを守れを通じて眺めることになったキム・ジェジュンのチャ・ムウォンはアイドルといううらめしい感情のわだかまりだけを払いのければ
なかなかよい新人級演技者の新鮮なキャラクターと眺め見ることができた。
一つおもしろいのは
「絶対あの子はできないだだろう」と演技者としての可能性さえ夢見るに難しくできてるキム・ジェジュンのハンディキャップというものが
かえってチャ・ムウォンというキャラクターにはあきれるように合致したとのことだ。
キム・ジェジュンはこのドラマで二人の年上の女を相手にしているのだが
普通キム・ジェジュンのポジションで選択できる手綱リ漫画キャラクターではないのに30代相手女優たちとの絵で全然ぎこちなさが感じられない程の大人っぽいということと
ちょうど切っておいた絵のような新鮮なビジュアルはかえって彼の容貌が異質で独特なのでチャ・ムウォンというキャラクターを特別に作ってくれる稀な状況になってしまった。
危機を機会に変えてしまったケースというか。
もちろんまだ惜しい点がないわけでははない。
改善しなければならない点が見られる
もれる発音は次期作を準備する以前に彼が演技者を夢見ているならば歯をくいしばっても直さなければならない部分だし
対話や状況を演技する時あらかじめ1テンポ考えて行動が出るようななぎこちない面はキム・ジェジュンが必ず直さなければならない惜しい面目たちだ。
だが、こういう部分を忘れさせる程合う幻想的なキャラクターのマッチとキム・ジェジュン特有のナチュラルさは明確に彼が演技者として成長できる立派な基礎にならないだろうかと考える。
危機と考えたハンディキャップがかえってドラマで絵のように似合い大人っぽい色気と吸入力を持ちかえって演技者キム・ジェジュンとしての価値をより一層確固として刻んだ独特のケースと言える。
もう日本語に直しずらい部分外来語にしちゃったYO!
食事つくりに行ってきます~。