家族に対して長い間「アルコール」に逃げるという行為をしてきて、言いようのない苦しみだとか情けなさ、平穏な時間を奪って来たという事実は、どれだけ時間をかけてはなしをしても、言い訳にしか聞こえないであろう。


飲まない生き方の中で、はじめの頃どうしても自分に自身もなくしているし、こうなってしまたことがうまく理解できないというか、現実を受け入れるということができないでいた。


依存症特有の「否認の感情」が出てきて、アルコール以外の事に逃げ道を探してみるのだけれどその生き方も行き詰まってしまう。


どうしても、変なプライドだとかしがらみだとか、周りからどう見られているのだろうかというようなどうでもいいことが、気になってしょうがない自分に気がついた。


最近わけあって「履歴書」を書かなくてはいけないことがあった。

ごく当たり前の履歴書で担当者は何を信じてこの一枚の紙切れを見るのだろう。

まず、字が綺麗かとか、学歴だとか見てこの人が会社の戦力になるかどうかを判断するのだろうか。

職歴の掲載が多いとか、提出する方は少しでも気にいられようとしている。


この履歴書が白紙になればどんなに楽だろう、そう感じたのでもう一度「履歴書」を見つめなおしてみた、学歴にしても、自宅から一番近い公立高校を平凡な過ごし方で卒業して、夜間部に進学、アルバイトはしていたけれど、仕送りもしっかりあてにしての苦労知らず。

自慢できることなど何もなくて、趣味なんてあるはずも無く、アルコール依存症なんてかけるはずもないし・・・・。


そうしているうちに、自分が思っているほど大した生き方もしてきていないことが分かってきた、ただひとつだけ言えることは、「家族を愛している」ということは自信をもって言い切れる。


たしかにいつでも家族に接しいるときは「酔っぱらい」の状態なので正しい愛しかたも出来ていなかったし、子供たちの求める父親ではなかったことは認めるけれど、いつでも「この子達のために、妻の笑顔が見たいから」そう思っていたのは間違いはない。


幼い頃の子供たちの求めていた愛情と、押し付けていた愛情の間には埋めることのできない「ずれ」があるだろうことは想像出来るけれど、毎日のふれあいの中でわかり会える日が来ると信じている。