四方八方から何かに押しつぶされそうになり、不安感と孤独感との戦いの相手はまぎれもなくアルコールという薬物だった。


そのことに気づき、無力であり、思い通りに生きていけなくなったことを認めた・・・・。


周りの人たちを裏切り続け、人を傷つけてきた・・・・・。

信じるという言葉が自分の中からいつの間にかなくなりかけていた・・・・・。


自分という人間がどこに向い、どうしたいのかもわからなくなってきていた・・・・・。


自分さえもが信じられなくなってしまっていたので、「この、得体もわからない不安感と孤独感からんがれられるのならば・・・・・。」という感じで「神さまぐらいはしんじてみよう・・・・。」という気持ちになった。


いく度となく自助グループに通いながら今までの生きてきた中での過ちだとか、キズつけた行為をはなせるようになったのだけれど、いざその人たちの名前を表に書き表すという段階に来たときに、今的は違う緊張感というか感情がでてきた。


その人たちの名前は今までに何度となく日常生活の中で書いているし、取り分けて難しい名前でもないのだけれど、いざこの「棚卸表」に書き出すとき、その人に対してやってきた行為というよりも奪ってしまった時間の長さに気づき、どうしたらいいのかわからなくなる。


自分にも三人の子供たちがいるのだけれど、その子達の名前を付けるときいろんな思いを名前に託して付けた。決していい加減なつもりで名前を付けてはいない。


「棚卸表に書き出すとき」紛れも無く家族の名前は出てくる・・・・・・。


家族の名前を書き出し、隣の部屋で眠っているであろう家族のことを思うとき、「見せかけだけの家族」を求めていたことにも気づき「周りから見たら仲のいい家族」を無理やり演じさせようとしていたと思う。


本来ならば「家族と過ごす時間」は一番安らぎ、癒されなければならない時間であるはずなのだけれど、自分自身の身勝手な振る舞いによって、その時間を奪いながらやすらぎ、癒されているように演じさせられた彼らの苦悩は、言いようのない苦悩だったのだろう・・・。