アルコールや薬物、食べることや人間関係に囚われそのことに対して費やしてきた動力や時間をひとは、「浪費」というだろう、しかしあの頃はそうするしか生き方を知らなかったし、生きていられなかった。


そうして、誤った判断は恨みを抱き、誤った信念は恐れとなり、誤った行動で人を傷つけてきた。


言いようのない恐怖感と孤独感に包まれて、抜け出せないでもがいていた。


・・・・・・・。


そして仲間に教えられた、「敗北を認めること。」「謙虚になること。」


・・・・・・・。


確かに、自分を知るということは、時に痛みを伴い、真実は人を自由にすると言うが、最初は十中八九人を惨めにする。


しかし、浪費していた生き方をかえ同じ生きることにエネルギーを使うなら、生きている今というこの時間に感謝し、どうなるか分かりもしない未来に不安を感じるよりも、今を精一杯生きてやれ。


・・・・・・。


依存症である以上、精神的にも浮き沈みもあるし、生きにくさに変わりはないけれどいろんな場所、場面で「依存症」という病気のせいにしたくないと思っている。

それはある意味、「あいつは依存症だから・・・。」と思われたくないという気持ちもあるからだろうし、依存症にたいする誤解とか、偏見みたいなものを感じているから・・・・・。