そもそも依存症という病は、生きること自体が病に犯されいるのだろう。
生きていることがどうにもならなくなったと感じたり、思いどうりにいかなくなったときにふとしたきかっけで何かに依存してしまったのだろう。
何かに夢中になることで、気分転換をしたり生きがいを見つけたりすることもあるのだが、たまたま間違った方向に夢中になってしまったものだから、「依存症」という厄介な病人とされてしまった。
生きること自体が病んでいる人間は、到底世間に通用出来るわけもなく。行き場所さえもなく、自分の人生がどうにもならなくなる。
誰も信じられなくなり、自分さえも信じられない・・・・。
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このような依存症の人間が身近にいるということはその人たちも病に犯してしまう。
「共依存」という状態である。
この状態の人は、自分が病んででいることになかなか気づかない。
どうしたら、この人を救えるだろう・・・。と命懸けでいろいろな方法で試してみるけれどどれもうまくいかない、そのうち疲れはて、「この状態がいつまで続くのだろう・・・。」
「この人さえ居なくなればどんなに楽になれるだろう・・・。」
そう考えるようになるだろう、それは、完全に病んでいるに違いない、なぜならもともと大切な人を「居なくなって欲しい」と考えること自体正常な考えではないのだから。
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そうして、生きること自体が病に犯された状態のまま、生きにくさを感じながら生きるときAA・NAまたAl-Anonの12のスッテプによる考え方は良く出来ていると感じる