久しぶりすぎて書くのが恥ずかしいくらいですが😅、毎年書こうと思っていたことなので、書きます。
今年も、3月11日がやってきました。
時間というのは、どんなときでも当たり前のように、ふつうに、自然に、やってくるものだなあ。
365日の中で、この日が特別になったのは、東日本大震災が起きてから。
まだ変化途中ではありますが、自分の考えていたことを練り直してみたいと思います。
⚫️供養とはなにか。
人それぞれの方法があり、私はどんなやり方でそれを行おうか。
震災時、「忘れない」という言葉をよく 耳にして、その言葉がすごく心に響きました。
そしてこの三年間、忘れない=思うことによって、亡くなった方々の人生の色が増すことに気づきました。
良くないこともあったけれど、ふしぎと、少しずつ良いことの方も思い出せるようになってきた。その時に感じるのは、悲しさではなくあたたかさです。
「癒すのは、時間だ」という言葉を聞きますが、こういうことなのかなあと思ったりしています。
3年の中で、忘れない事で私の中で亡くなった方々(誰が、ではなく、亡くなった「人たち」というニュアンスです)と失った場所たちの以前在った存在が、より深く濃いものになってきて、これが、私の中での供養なのだと感じるようになってきました。
⚫️私はどう生きて行くか。
震災の後に自分のなかにあった言葉があります。
それは、「申し訳ない」という言葉です。
何もできない私が、生きて、楽しんでいいのか。
なぜか自分のなかで生まれたこの思考パターンは、何をするにも自分がその資格はないと感じる。
そう思うと、ブログもかけなくなりました。
ブログアメーバ申請にしたのも、今になって思えば、誰かに不快な思いをさせてしまうのが申し訳ないという他に、誰かに自分のことを「楽しそうでいいね」と言われたら、きっと素直に喜べずに申し訳ないという感情に混乱してしまうのが怖かったからだと思います。
でも、相反するように、明日には人間どうなるか分からない、やりたいことをやらなければ!という気持ちも同時期から芽生えており、この二つの異なる考えが、周期的に繰り返されるのです。
それは、結果として、気持ちの上昇と下降幅の大きさにより物事を上手く進めていけない状況を作り出しました。
これは誰に言われたわけでもない、自分で作り出した思考で、思い出せば昔からその気質はあり、震災をきっかけにまた出てきてしまったなあ…という感じです。
すごいことができるいい人でなければ、恩恵は受けてはいけないと考えるみたいです。私の頭の根っこは。
でも私の現実の姿はそれとは違くて、そこで自分で自分を責めている。
でもその生き方は、あんまりいいもんじゃありません。
少しづつでいいから、変えて生きたいなあと思います。
3月11日に微力な私ができること。
それは、忘れないということ。
それぞれの人の考えや状況がありますが、流す涙が少しづつやわらかくなっていけますように… 。
今年も、3月11日がやってきました。
時間というのは、どんなときでも当たり前のように、ふつうに、自然に、やってくるものだなあ。
365日の中で、この日が特別になったのは、東日本大震災が起きてから。
まだ変化途中ではありますが、自分の考えていたことを練り直してみたいと思います。
⚫️供養とはなにか。
人それぞれの方法があり、私はどんなやり方でそれを行おうか。
震災時、「忘れない」という言葉をよく 耳にして、その言葉がすごく心に響きました。
そしてこの三年間、忘れない=思うことによって、亡くなった方々の人生の色が増すことに気づきました。
良くないこともあったけれど、ふしぎと、少しずつ良いことの方も思い出せるようになってきた。その時に感じるのは、悲しさではなくあたたかさです。
「癒すのは、時間だ」という言葉を聞きますが、こういうことなのかなあと思ったりしています。
3年の中で、忘れない事で私の中で亡くなった方々(誰が、ではなく、亡くなった「人たち」というニュアンスです)と失った場所たちの以前在った存在が、より深く濃いものになってきて、これが、私の中での供養なのだと感じるようになってきました。
⚫️私はどう生きて行くか。
震災の後に自分のなかにあった言葉があります。
それは、「申し訳ない」という言葉です。
何もできない私が、生きて、楽しんでいいのか。
なぜか自分のなかで生まれたこの思考パターンは、何をするにも自分がその資格はないと感じる。
そう思うと、ブログもかけなくなりました。
ブログアメーバ申請にしたのも、今になって思えば、誰かに不快な思いをさせてしまうのが申し訳ないという他に、誰かに自分のことを「楽しそうでいいね」と言われたら、きっと素直に喜べずに申し訳ないという感情に混乱してしまうのが怖かったからだと思います。
でも、相反するように、明日には人間どうなるか分からない、やりたいことをやらなければ!という気持ちも同時期から芽生えており、この二つの異なる考えが、周期的に繰り返されるのです。
それは、結果として、気持ちの上昇と下降幅の大きさにより物事を上手く進めていけない状況を作り出しました。
これは誰に言われたわけでもない、自分で作り出した思考で、思い出せば昔からその気質はあり、震災をきっかけにまた出てきてしまったなあ…という感じです。
すごいことができるいい人でなければ、恩恵は受けてはいけないと考えるみたいです。私の頭の根っこは。
でも私の現実の姿はそれとは違くて、そこで自分で自分を責めている。
でもその生き方は、あんまりいいもんじゃありません。
少しづつでいいから、変えて生きたいなあと思います。
3月11日に微力な私ができること。
それは、忘れないということ。
それぞれの人の考えや状況がありますが、流す涙が少しづつやわらかくなっていけますように… 。





