今朝は出勤です。

 

すでに電車に乗っています。

 

昨日は某イタリアンレストランで

 

末っ子と長男を連れて昼食を楽しみました。

 

何を頼んでも良いよ、というと

 

長男はカルボナーラとガーリックバゲット

 

末っ子の娘は小エビのたらこスパゲティを頼みました

 

私はランチメニューのデミグラスハンバーグです

 

娘と私はドリンクバーを

 

長男は水で良いということでした

 

これで3人で2000円と数十円

 

驚きの安さでした

 

アメリカでは一人も食べれないでしょう

 

 

 

 

私は2000年代から断続的に20年ほどのスパンで

 

国際業務をしていますが、

 

この間、欧米世界では着実にインフレでした

 

前年を下回る請求を受けたことがありません

 

コロナ禍明けでこれが一気に加速し

 

今や物価も給与も世界は日本の倍となりました

 

 

 

昨日のレストランでは印象的な出来事がもう一つ

 

アルバイトのウェイトレスが食器を片付ける際に

 

派手に落として数枚の皿が割れて飛び散りました

 

 

 

我々の皿ではなかったのですが、

 

長男はすかさず助けに入り、

 

フォークやナイフを拾い集めていました

 

店長が出てきて謝辞と共に

 

助けは不要の旨が告げられましたが、

 

そのウェイトレスへの同僚の助けはなく

 

一人で復旧作業を進めていました

 

最低賃金で働く長男には

 

我がごとに感じられたのでしょう

 

 

 

世間ではよく、職業を序列化して

 

底辺、などと称することがあります

 

 

 

賃金を指していうのか

 

それしかないかなとも思いますが

 

その基準では最低賃金労働者が底辺ということになります

 

 

 

 

私の賃金は悪くありません

 

日本のサラリーマン平均年収の

 

倍以上はもらっているでしょう

 

それでも、私自身は底辺だと感じます

 

 

 

何がそう感じさせるかというと、

 

私は誰かの不調の報告を受ける人だということです

 

人間ですから、みな不調になります

 

コロナやインフル、その他、家族の病気

 

これらの報告を受けて私は励ます立場です

 

いっときは毎朝報告を受けていました

 

私も人間なのですけれどね

 

私の不調はこの世に存在しないことになっています

 

私の奥さんも子供たちも不調になりますが

 

私はそのために休むことはほぼありません

 

誰も私の立場は守っていません

 

労働組合への加入権限も私にはありません

 

誰も私のことは心配しません

 

上司の方が先に不調になります

 

私は完全無欠であることがデフォルトです

 

何にも優先して職場を心配せねばなりません

 

部下と部下の家族を毎日心配し、

 

お大事に、と声をかけます

 

無理をしないでね、と私は言います

 

 

 

私には失敗も体調不良も許されず

 

失敗してもそれは全て私の責任です

 

言い訳は許されません

 

全ては私の責任、

 

私の不徳の致すところです

 

 

 

この立場を持って、

 

私は世界の底辺だと自認しています

 

誰かの代理で常に自分の予定は立てられない

 

予定を立てるのは年に1回ほど、平日の2日ほどであり

 

有給は仕事の予定が空いたところに入れるのです

 

 

 

さて、昨日のように休みを取り

 

平日に親子3人でランチをとることも

 

年に何度あることか

 

少なくともこの3人の組み合わせは人生で初めてです

 

本当に賃金で人の職業を序列化できるのか

 

私には全くナンセンスに思いますね

 

給与をもらう人は

 

それなりに割に合わず、

 

幸せではない立場に身を置かれるのです

 

 

 

もしも生活できるのであれば

 

賃金を引き換えにしてでも

 

子供達と一緒にランチをとる方が

 

高い水準の生活だと私は考えますね