この本を読みながら通勤電車で移動しています。

 

通勤時間中にブログも書いているので、そんなに速くは読み進めません。それでも今日には読み終わるでしょう。

 

出発を6時54分の電車から6時45分の電車に変更しただけで、だいぶ移動が楽になりました。たった9分の差です。

 

人はそれなりの数が出ていますが、2本目の電鉄会社の10両編成であれば十分なキャパシティがあります。まるで掃除機がチリを吸い込むように、10両編成に吸い込まれていきます。2つ目の駅に到着した時点でも片側の席が空いています。

 

たった9分の変更で人生の一部は多少の快適を得ています。もちろん、この後、人で満たされ、到底快適とは言えない状況になりますが、私は先に座った人間ですからさほどの気を使うこともなく、何も考えずに過ごすことができます。

 

さて、私は幸にして26年間のサラリーマン生活で大病を患うこともなく来られています。身体も精神も壊していません。

 

中間管理職は10年やっていて、11年目に突入します。課長職1年目の負荷の大きさには慄いた記憶がありますが、幸にしてコツを覚えて今では慣れ、精神も無事を保っています。過度なプレッシャーを与えられても、逆に、存在が蔑ろにされてもスルーする力がつきました。いざとなれば辞めれば良いのですから。

 

もちろん、病みそうになることは幾度となくありました。上司の存在で2度(2名)、部下の存在で2度(2名)ほどまずい状況はありました。しかも1度は双方に挟まれてね。都度、やられそうになっては産業医や担当役員などに自ら相談して私の課題を明らかにしてきました。つまり、対処して精神が壊されることはありませんでした。

 

今、この10年を振り返ってみて思うその要因は何か。なぜ、私は回避行動が起こせたのか。私の職場でも多くの人が精神を病み、中には自ら命を絶つ人まで出ていますから、これは述べておくと誰かのためになるはずです。

 

ズバリ、思い当たるその要因が移動です。

 

常に長距離通勤を自らに強いることになった半生ですが、これがよかったのかと思います。時には自家用車で毎日高速道路を走り、今は電鉄会社3線も使って長時間を過ごしています。毎朝眠りもせずにあくせくブログを書いていたりします。

 

毎朝読み、書き、考えを言語化して、自分なりに整頓させる日常を持っていること、これが功を奏しているのか。車の中でもオーディブルで本は聞いていましたし、時にはyoutubeを流して、耳をそばだて、専門知識を仕入れていました。

 

ブログを書けば、時にどなたかがコメントを書いてくれたり、いいねを押してくれたりで、私は一人ではないと感じることができました。知り合いだらけのfacebookには書けないこともブログなら赤裸々に思うままを書けますしね。

 

言語を使った活動を移動時間にコツコツと行ってきたこと、

 

これがもしかしたら、健康を維持させた原因ではないか?

 

そんなことを考え、ここに整頓して言語で記しながら、今朝も職場に向かっています。