山法師という木の葉っぱのようです。

 

森の公園を歩いていて日を遮ってくれるので、家に欲しいね、と話していました。

 

このような瞬間には楽しさや充実を感じます。

 

今の問題は月曜日から金曜日の仕事日にほとんど楽しさや充実を感じないということです。

 

無心になれるということでも良いのですが、もう、プレーヤーではないので、無心になることもできません。常に意識を保ち、人の話を聞いて、解決策を考え、あらゆる攻撃や責任追求に耐えうる姿勢をとっていなければなりません。頭脳明晰な教授陣が相手ですから、こちらも時に狡猾に構えねばならない。

 

誰かの役には立っているのでしょうけれど、性に合いません。

 

昨夜はとにかく眠ることにして22時にはきちんと眠りました。娘も珍しく言うことを聞いて一緒の時間に眠りました。

 

朝は5時にトイレに起きましたが、6時まで眠りました。結果、8時間近く眠ったことになります。

 

それでも、疲れは抜けてませんね。完全ではありません。

 

やはり歳をとったのでしょう。

 

この先、体力は落ちていきます。あるいは出力調整で乗り切れるのかもしれません。いずれにしても昇進レースと椅子取り合戦は私には合わないのです。誰かと争うですとか、裏と表を使い分けるですとか、関心もない仕事を「やりたい」と思うですとか、大人の振る舞いは全く興味もなければなりたい自分ではない。

 

なので、もしも同じ収入がサラリーマン以外で確保されているなら、まず間違いなく辞めます。これは言い切れます。

 

上司は良い人ですけれど、明らかに私と価値観は異なります。上司は組織で生きるのに向いています。私は全く向いていないし、そういうのがカッコ良いとも思わない。スーツはもう着ません。ビジネスシューズすら履かない。組織でへーコラするのに全く憧れない。上役を立てて、チームを鼓舞することはあまり興味がない。私はどちらかというと、沢木耕太郎さんみたいに基本一人で生きて発信する人間がカッコ良いと思っていますし、そのように生きたいと思い続けています。

 

組織の一部に組み込まれ、うまいこと周囲を巻き込み複雑なプロジェクトを成し遂げることにさほどの幸せを感じないのです。飲み会も別に好きではないし、野球は一人で見るのが好きです。もちろん、時には2-3名くらいでじっくりというのは相手によりますがわかります。たまにはいいかなと思います。でも、毎日同じ相手というのは奥さんで十分です。

 

私のような人間が生きにくいのが会社社会でしょう。

 

会社社会にほとんど全ての人が押し込まれ、今乗る通勤電車にぎっしり積載されています。

 

国にとっては人の暇や退屈が潰せて社会の安定に貢献しますし、一定の税収や消費が見込めます。その尺度を図るため、内閣府に集めた有能な頭脳を使ってGDPを計算しています。会社システムが人間相互に圧をかけて多少の無理もさせてくれますから、鞭も強制労働もなくて良い。自由経済という名のもと、人を隷属化させて蜜を都合よく、能率的に回収できます。

 

こんな世を、みんな生きにくいのかと思っていたら、案外、最適だと思っている人がいることを知りました。「せっかく仲間になったんなんだから」という言葉を聞いて、ふと、そう感じたことがありました。え?というのが私の感覚なのです。

 

さて、終点についてしまいました。

 

木曜日、今日もいろいろ考えていこうと思います。