最近の土日はもっぱら森に入ります。

 

もう少し正確に言えば、子供たちの学校行事と森です。

 

森には犬を連れて行きます。それから奥さんと一緒ということもあります。この写真は奥さんに撮ってもらいました。犬は距離が離れたので不安そうに待っています。

 

家のこともしたいのですが、考えがまとまらずにまだ具体的に動けません。

 

例えば、漫画と文庫本用の書棚を置きたいのですが、買って置いてしまう(またはつくりつけてしまう)と、動きが束縛されるので踏み切れません。収まりきらない本をどうするのかは課題です。

 

あるいは、リビングエリアをリフォームしたいのですが、これもまた、考えがまとまりません。リフォームと書棚はきっと同じ問題ですね。

 

犬という家族がきて、娘が来年中学生になり、そろそろ待ったなしの課題なのですけれど、まだ空間の適切な構成が決まりません。家具で作ればリフォームは必要ないのかもしれません。

 

図面で考える必要がありそうですね。

 

仕事場も適さないことは明らかです。私だけ毎朝5時半に起きて行きますから。夜、私だけ1時間以上早く就寝する必要があります。

 

睡眠が阻害されて疲れの元になっているのではないかと眠れぬ昨夜に思い至りました。23時過ぎても私のベッドサイドで煌々と灯りをつけられています。

 

 

50年の人生で5月の森の美しいことを見落としていたことに気が付きます。

 

美しさの元は多様であることだと人間である私は思います。多様な草花がひしめき合っています。基本的には私の職場と同じです。私の職場も人間ではない何かの目で見れば美しいのかもしれません。

 

でもね、そこで働く人は苦しみます。ある人は昇進し、ある人は留まり、ある人は好きな仕事を軸に働き、ある人は組織の都合で動かされる。

 

多様であることは変わりませんが、到底エゴを持ち続けることが得策だとは思えません。エゴは生きにくくなる元凶です。

 

草花にもエゴは宿ります。細胞レベルで自我はあるのです。出なければ、この多様な自然環境で子孫を残すことはできなかった。と、一部の人間には理解されます。

 

あるものは戦い、あるものは妥協し、あるものはその場を去る。

 

私はどれでしょうね。全てやってきた気がします。

 

こんな解釈を得るために土日は森に入っているのでしょうね。

 

今日はまた月曜日です。