今朝はジムを休みました。

 

5時30分には起床していたのですが、なんとなく休むことにして、ダラダラとベッドの上で過ごし、子犬のところに早めに行って、犬を部屋に解き放ちゆっくりと過ごしました。

 

あどけない顔で人の顔をまじまじと見つめてきますので、可愛くてこちらもじっと見返します。そんな事をしていると時間はすぐになくなり、慌てて着替えて家を出てきました。

 

それで、今、電車の中です。始発の駅を出発して3つ目の駅を過ぎる頃にはもう座れる席はなく、私の椅子の前のブースには6人ほどが立っています。

 

昨日、隣の車両ではターミナルの駅で駅員さんが3人ほどで何か床にある汚物らしきものを処理していました。きっと、体調不良者が出たのですね。こんなにまでして通勤する意味はあるかな?と、重ね重ね思います。

 

「会う」ということはとても良いことですが、果たして家族よりも多く、ずっと会っているものですかね?エゴを持つ同士の他人ですし、自らの意思で選んだ人でもない人たちとそこまでして長く一緒にいることが最適なのか。

 

せいぜい、週の半分程度で良いのではないかとも思います。この就業環境に馴染まない若者たちはさっさと去っていきます。昨年1年で何人辞めたか。数えてみたら7人いました。下は25歳、上は48歳くらいまで。半数は20代です。1年に平均的に7人ほどしか入りませんから、定年の人もいる中では、まだ補充しきれていません。

 

そして、今年度が始まって1ヶ月と経たないうちに20代の人がまた辞めます。

 

私がこんな気持ちで毎朝電車に乗るのも仕方のないことなのでしょう。

 

気になるのは、人事制度が1名の固執した考えに依存することです。独裁的な判断により、組織全体が支配されることですね。法令をきちんと読み込めば、それは労働者を囚人のように扱うことが謳われているのかもしれません。中間管理職はまるで看守です。残業は命令によりなされると、言いますが、管理職が把握し切れるほど単純な仕事はこの世の中には少なくなっています。まして、大学ともなれば誰も理解できないブルシットジョブだらけ。

 

改善しようものなら、法改正に着手せねばならないようなことばかりです。上司の命令により細部までコントロールするような仕事はそんなにはありません。

 

というのが私の認識。しかし私が職場でこのようなことを言うなら、妄想と言われかねません。私はどちらかというと在宅も推進できず部下を厳密に監視しなければならない職場の方が妄想世界に思えます。見ている世界が違うので、それは去るより仕方がないと考える若者がいても全く不思議ではありません。

 

 

職場での楽しみはこんなお菓子だけ。でもこれは本当に美味しいですよ。

 

さて、今日は何をしようか。何か夢を思い描きましょうかね。