日曜日には車検に出しておいた愛車が戻ってきました。

 

最近は休日しか動かさないため、走行距離はあまり伸びません。1度は自家用車を手放す実験をしたこともありましたが、やはり自由が削がれることがわかり、再び、同じルノーカングーを購入して1度目の車検を迎えました。この間、コロナ禍が終息しています。

 

子供達が小さい頃は後部座席に3人乗せてキャンプや海水浴、里帰りにとフル稼働でしたが、今では少し離れたラーメン屋や冬場の灯油調達くらいにしか使いません。徐々に子供から犬へと私の同乗者は移行しつつあります。

 

 

1週間ぶりに運転してみると、日本車に比べてアクセルの反応の鈍いことがわかります。故障ではないかと思うほどです。代車は最新の日産のノートでしたが、アクセルの反応の良さに驚きました。運転しているという行為を忘れるほど、思ったら前に進んでいます。思うだけで動く、そんな夢の乗り物に感じました。

 

だからこそ、この思う・動くの連動が落ち着きを得た年配者の精神にはそぐわないのかと感じます。もっとじっくりと動き出す方が精神にマッチするのではないか?

 

欧米人と日本人の違いでもこれは感じます。歩き方、話し方、電話の呼び鈴感覚、これらは欧米の方が概してゆっくりだと思います。性能を追い求める日本人気質がレスポンスは敏感でなければならないという観念となって車の設計に影響していないか?これが誤発進事故の一因ではないかな?チューニングのところでカスタマイズ可能な仕組みがあれば、もしかしたら避けられる事故もあるのではないか?

 

こんなことを考えながらの通勤です。今朝はなぜだか、電車内は空いています。