暇なので、私の好きな本をメモにしておきます。

 

私は自由を求めています。

自由の定義は別の項目で記しましたが、

抽象的に今一度記しますと、

 

生きるための

仕事はしたくない。

ということかと思います。

お金のために

拘束されたくない。

ということです。

別の言い方ももっとできると思います。

 

しかし、子供は長年欲しいと思っていました。

幸い3人の子宝に恵まれました。

これは本当に幸いで、今日、死ぬとなったら、

残念ではあるのですが、しかし、子がいるということは

一つの希望です。死を受け入れられる要素です。

 

これはあくまで私の価値観によるものです。

人間の絶対的な価値観ではありません。

 

子を持つか持たぬか、

これは若い頃同期とも話になりましたが、

このことは別の項目で後ほど記したいと思います。

 

さて、私の自由という目標のモデルは

エリック・ホッファーです。

若い頃、この人の自伝に出逢って

そこから虜になっています。

もちろん、四六時中考えているわけではないですが、

私の座右の書の1つとなっています。

すぐに手の届く右側に置いてるので、文字通りの座右の書

 

 

 
ああ

 

アマゾンで検索したら、一応手に入りそうですね。

 

エリック・ホッファー

哲学者です。

晩年にはバークレーで教鞭をとるほどの人ですが、

自身は大学に行っていません。

 

それどころか、

7歳の時に失明し

15歳になるまで目が見えませんでした。

15歳で視力が回復し

またいつ目が見えなくなるかと恐れたため、

とにかく

目が見えるうちにと

本を読みまくった

というような人です。

 

定職につかず、

オレンジ売りや

港湾労働者をしながら日銭を貯め、

お金が貯まると仕事をせず

公立図書館で読書と思索にふける

そういう人生を送った方です。

 

エリック・ホッファーにとって

視力とは一度失った能力ですから、

いつまた失われるか、

そういう時限爆弾でしかありませんでした。

そういう人は、視力が悪くなるから控えよう

そういう観念はありません。

目が見えるうちに

とにかく読み込もう。

また、目が見えるうちに

仕事なんて後回し

 

実際、ホッファー家は短命で、

40歳まで生きられない

と言われて育ちました。

母も父も幼い頃に亡くし乳母に育てられています。

だから、

老後のことも心配する必要がない。

 

活動は公立図書館ですから、お金もかからない。

持ち金が底をつき、餓死しそうになったこともあること

本書に書かれています。

 

この生き方は私は日本社会に生まれ

3人もの子に恵まれたので

中々真似ができません。

 

でも、

もうそろそろ

真似してもいいかな?

というのが、今の心境です。

 

最後にエリック・ホッファーの魅力的な

思索の写真を貼らせてもらいます。

 

2023年までにこうなりたい。