こんにちは。
さてさて 出産レポートの続きを 思い出しながら 書いていきますね。
時間が経つと あやふやになってきちゃいそうなので 記憶よ 戻れと唱えて。。。
手術が終わって 別室に運ばれたようで うなっている自分にきづく。
なんだかとっても痛くて死んじゃいそうなくらい正気ではいられない。
おそらく麻酔が切れた痛みと 子宮収縮の痛みが押し寄せてきたんだと思う。
意識が少し戻ってくると 近くには男性の患者さんもいる。
その方もすごい勢いで痛みに絶えられず叫んでいる。
いやいや まさに”叫び声のお部屋”だね。 みんなすごい叫び声だった~。
おそらく私も同じだったと思うけど 記憶がうすっらとしか残っていないんだよね。
時間とともに叫んで痛みを訴えている人が減ってきた。
そのとき術後から2時間半くらい経過していたかな?
だいぶ痛みがやわらいできたけど それでもまだ痛くて まっすぐ仰向けに寝ていられない。
そろそろ病室に戻りましょうかと 声をかけられるけど、
家族に心配かけたくなかったので もう少し時間を置くようにお願いした。
いや~この術後が一番 しんどかった。
あまりにも痛くて うわごとのように ”私を助けてください”と言っていたみたい(笑)
少し落ち着いたところで病室へ戻る。こんなしんどい顔 できれば誰にも見せたくなかった。
病室では義母、母、おっぱが待っていてくれた。
何か声をかけてくれたけど、自分のことが精一杯で 覚えていない。
しばらくして マイべビとご対面する。
とっても小さくてかわいかった。けど全身麻酔だったせいか、 自分の子という実感があまり沸かなかった。
でもとにかく元気にうまれてきてくれて 本当によかった。
マイべビちゃん どうもありがとう。 感謝。
そしてしばらくして ここで耳を疑う話しを聞く。
なんと義母が付き添って泊まるというのだ! 勘弁してほしい。
なんのために私の母が日本からきているのだ!!
でもいやとはいえず 従うことに。 これが不幸の第一歩。
今思えば 術後の一番 きついときに そばに居て欲しいのは 母かおっぱにしてほしいと言うべきだった。
いらいらするので思い出すのは正直きつい。
どうかみなさん 韓国の人には遠慮とか配慮とか通じないので いやなものはいや 断るときは断る。
このようなはっきりした態度をしないと とても嫌な思いをします。
いい子にならず 自己主張することを学びました!
韓国人は日本人のような 奥ゆかしさというか そういものないかも。
韓国の人は単純といえば単純でわかりやすいけど 日本人のように気持ちを察するという感覚はないのです。
義母が特別なのかもしれないけど。。。言い出したら聞かないからね。
悪気がないんだろうけど姑は姑だからね。
つづく。。。