しょうねんき
「健人(けんと)、遊び行くぞ」
充(みつる)がプラスチックのバットを右肩に背負うように乗せ、左手にはプラスチックのボールを持って、健人の家に来た。
「ちょっと待ってろ。」
ランドセルの中から一つ、グローブを取り出す。ランドセルの中は空っぽ。
「行ってきます。」
地面は土。あるのは、サッカーゴールと野球のベース。人は誰もいない。
「行くぞっ。」
充が大きく振りかぶった。
健人がバットをかまえる。
左手から投げたボールは、真っ直ぐ飛んでいく。
健人はそれに合わせてバットを振る。
一直線に飛んだと思ったボールは、いきなり健人の胸元に方向を変えた。早めに振ってしまったバットは、方向を変えさせてはくれない。空振り。
充はカーブやフォークなど、ほとんどの変化球は投げられないのに何故か、カットボールだけは投げることが出来た。これがかなり手強い。胸元へ曲がったボールは、その勢いのまま、地面に落ちた。ころころと転がり、フェンスを支えているコンクリートに場所を置いた。健人はそれを拾い、充の元へ投げた。
二人だけの野球は、かなり辛い。ボールを見送るか、バットが空をきるなどして、バッターの後ろにボールが行けば、それをバッターが取りに行く。バットがボールに当たれば、ほとんどファールかヒットになる。アウトになることは、まずない。そのファールやヒットになったボールを、ピッチャーが取りに行く。
まぁまぁの当たりさえすれば、ランニングホームランは難しく無い。
七回の表。17対11。1アウト。1ストライク。
2アウト交代にしているものの、いつもは途中で飽きて、三回で終わることが多かった。だが、今日は飽きが来ない。三回の接戦が効いたのだろうか。五時でも明るい、この季節のおかげでもある。
充には、癖がある。二回連続でカットボールは投げない。つまり、カットボールをした次のボールは、必ずストレート。それを狙って打つ。ほとんどのヒットが、それに当たる。二球目、カットボール。
三球目、やはりストレート。健人はこれを待っていた。一直線に飛んだボールが、胸元へ曲がることは無かった。自信満々に振り抜いたバットに、ボールが正々堂々と勝負を挑んでくる。ボールが理屈に敵うわけはない。ボールは、充の頭上を悲し気に越えていった。サッカーゴールのネットに場所を置いた頃には、ひし形の三つ目の角を踏もうとしていた。ボールを拾った充が、だらだらと歩いてこっちに戻って来る。顔がはっきり見える位置に来たときには、四つ目の角をとうに踏みつけていた。
「もう終了。帰る。」
バットを右肩に背負うように乗せ、左手にボールを持ち、グローブを健人に向かって蹴りあげた。
「まだ裏残ってるよ。」
「うっせぇ、ギブだギブ。」
「これで七十三勝五引き分け、三十六敗ね。」
「いっつも何だそのノート。性格わりぃな。」
「このノートを、将来思い出話するときにお前に見せんだ。」
「はぁ、ほんと性格わりぃな。」
充は、自分の野球の癖に気付いた。でも、そんなことはどうでも良かった。少しの悔しさが沸いたが、すぐに冷めた。あの頃を懐かしむ時間は無いし、必要も無い。
充と野球をしなくなってから、何年経ったのだろう。何故しなくなったかも覚えていない。思い出そうとして、我に帰る。今はそんなことをしている時じゃない。一切の懐かしさを消そうとするが、心に違和感が残る。だがそれすらも消し去ろうとする。
何十枚もの資料を脇に抱え、革靴を鳴らす。ピシッとしたスーツと背筋に、だらしなさは微塵も見えない。
しょうねんきは、とっくにおわっている。
充(みつる)がプラスチックのバットを右肩に背負うように乗せ、左手にはプラスチックのボールを持って、健人の家に来た。
「ちょっと待ってろ。」
ランドセルの中から一つ、グローブを取り出す。ランドセルの中は空っぽ。
「行ってきます。」
地面は土。あるのは、サッカーゴールと野球のベース。人は誰もいない。
「行くぞっ。」
充が大きく振りかぶった。
健人がバットをかまえる。
左手から投げたボールは、真っ直ぐ飛んでいく。
健人はそれに合わせてバットを振る。
一直線に飛んだと思ったボールは、いきなり健人の胸元に方向を変えた。早めに振ってしまったバットは、方向を変えさせてはくれない。空振り。
充はカーブやフォークなど、ほとんどの変化球は投げられないのに何故か、カットボールだけは投げることが出来た。これがかなり手強い。胸元へ曲がったボールは、その勢いのまま、地面に落ちた。ころころと転がり、フェンスを支えているコンクリートに場所を置いた。健人はそれを拾い、充の元へ投げた。
二人だけの野球は、かなり辛い。ボールを見送るか、バットが空をきるなどして、バッターの後ろにボールが行けば、それをバッターが取りに行く。バットがボールに当たれば、ほとんどファールかヒットになる。アウトになることは、まずない。そのファールやヒットになったボールを、ピッチャーが取りに行く。
まぁまぁの当たりさえすれば、ランニングホームランは難しく無い。
七回の表。17対11。1アウト。1ストライク。
2アウト交代にしているものの、いつもは途中で飽きて、三回で終わることが多かった。だが、今日は飽きが来ない。三回の接戦が効いたのだろうか。五時でも明るい、この季節のおかげでもある。
充には、癖がある。二回連続でカットボールは投げない。つまり、カットボールをした次のボールは、必ずストレート。それを狙って打つ。ほとんどのヒットが、それに当たる。二球目、カットボール。
三球目、やはりストレート。健人はこれを待っていた。一直線に飛んだボールが、胸元へ曲がることは無かった。自信満々に振り抜いたバットに、ボールが正々堂々と勝負を挑んでくる。ボールが理屈に敵うわけはない。ボールは、充の頭上を悲し気に越えていった。サッカーゴールのネットに場所を置いた頃には、ひし形の三つ目の角を踏もうとしていた。ボールを拾った充が、だらだらと歩いてこっちに戻って来る。顔がはっきり見える位置に来たときには、四つ目の角をとうに踏みつけていた。
「もう終了。帰る。」
バットを右肩に背負うように乗せ、左手にボールを持ち、グローブを健人に向かって蹴りあげた。
「まだ裏残ってるよ。」
「うっせぇ、ギブだギブ。」
「これで七十三勝五引き分け、三十六敗ね。」
「いっつも何だそのノート。性格わりぃな。」
「このノートを、将来思い出話するときにお前に見せんだ。」
「はぁ、ほんと性格わりぃな。」
充は、自分の野球の癖に気付いた。でも、そんなことはどうでも良かった。少しの悔しさが沸いたが、すぐに冷めた。あの頃を懐かしむ時間は無いし、必要も無い。
充と野球をしなくなってから、何年経ったのだろう。何故しなくなったかも覚えていない。思い出そうとして、我に帰る。今はそんなことをしている時じゃない。一切の懐かしさを消そうとするが、心に違和感が残る。だがそれすらも消し去ろうとする。
何十枚もの資料を脇に抱え、革靴を鳴らす。ピシッとしたスーツと背筋に、だらしなさは微塵も見えない。
しょうねんきは、とっくにおわっている。