個人的な話なのですが、数年前、とてもピュアな年下の女の子と「黄金のアフガニスタンの秘宝展」に行ったのですが、その時、数々の黄金の秘宝を前にした彼女はひたすら「すっ、すごい!」を繰り返しました。
 また別の時、私が紫色の色素を持った白菜使ってピザを作ってみたら、とてもサイケデリックな色合いのピザが出来たので、その写真をメールで送ったら、その彼女は「な、なんかすごいですね!」と返信してきました。

 大野方栄さんのソロ8枚目に当たる新作「ちゃぱら」。タイトルやジャケットを見たときから、これまでとは違う何かを予感させてはいましたが、最初に聴いたときの感想はその「な、なんかすごい!」でした。
 大野さんのソロ作品で、私が一番最初に聴いた「聚楽」が「すっ、すごい!」だったとしたら、今回は「な、なんかすごい!」なんです。一聴して、これまでで一番、カオスなアルバムだと感じたのですが、前半部分のメロディが特に風変りな曲揃いで、大体私は聴きながら、サビはこう展開するだろうという予想をするのですが、そこをことごとく外していくのです。それはつまり、歌いこなすのが非常に難しいであろう曲が立て続けに並んでいることを意味します。

 聴いた直後から、パッと耳を掴んでいくアルバムは、やはり「聚楽」や「ブラジル」であって、その後の「パンドラ」や「セブン」になると、かなり冒険的な一線を超えたような曲も増えてきたものの、アルバム全体としての流れは、まだ綺麗にまとまっていたという印象があります。
 しかし本作は、そのまとまりの良さから、あえて逸脱してしまおうという野心的な試みに挑戦しているという印象です。ですので曲順に関しても、今までのアルバムの中でも並べるのに最も苦労されたのではないかと思います。

 「パンドラ」以降ということで考えると、大きな変化として、大野さんがネット上で発見した高田信さんの参加があるわけですが、高田氏の打ち込みの比重が「セブン」→「ちゃぱら」と更に高まってきたことも、本作を「な、なんかすごい」作品にしている一因でしょう。
 打ち込みと言っても、単純にダンスミュージックなものではなく、全てのジャンルを横断するための音を、安価で取り込むための打ち込みで、そのセンスが、ますますヤバいことになってきていて、例えばM12「Kiss」のとても長い間奏など、そのめくるめく展開に目が回りそうになりました。
 またサンバジャズのピアニストである森美佳さんも、ルーツであるクラシックピアノ的なものを披露したり、高田さんの曲を森さんが編曲したりと大野さんが復活してから、怒涛のアルバムリリースを支えてきた方たちが、縦横無尽に活躍しているアルバムとも言えるでしょう。

 詳しいアルバムの解説は、とても詳細なライナーノーツが掲載されているので、そちらを読んで頂いたほうが良いのですが、個人的に感じたことをいくつか紹介させて頂くと、今回もM5「やま」やM9「馬鹿になる私」のような、原曲が一般的にも有名な曲がカバーされていて、これが最初、違和感を感じるのですが、何度か聴いている内に、大野さんの歌詞が沁み渡ってきて、だんだんと大野さんのカバーの方がオリジナルみたいに聴こえてくるという現象は今回も起こりました。

 また80年代に、東映不思議コメディーシリーズ「おもいっきり探偵団 覇悪怒組」の主題歌だった「摩天楼のヒーロー」のタイトルを想起させられるM10「摩天楼のヒロイン」には、思わずタイトルを見ただけで嬉しくさせられました。

 そしてまた面白いのが、曲調からいうと絶対にM6の「幸せのパリ」が「摩天楼のヒーロー」へのオマージュなんですよ。それ以外にも、私には分からない、一筋縄にはいかないトリックが随所に散りばめられているんだろうなあと思います。

 例えば「幸せのパリ」の歌詞からだけですら、「スカンピン」という言葉に、鈴木慶一氏の「火の玉ボーイ」を、「アーティストたちの真似して、煙草に火をつける」という一節に、かまやつひろし氏の「ゴロワーズ」をフッと思い出させてくれたりするわけですから、きっとアルバム全体にそういう仕掛けが施されているんだろうなあと感じるわけです。
 そんな感じで、5回くらい続けて聴いていると、いつのまにかアルバム全体がとてもスムーズに流れ始めているのですから、これは一種のマジックでして、「な、なんかすごい!」から「あっ、やっぱりすごい!」に変化していたということなんです。

 

 

 まず本書は、インタビュー形式なので、一気に読め進めることが出来ます。多分時間がかかっても、2時間もあれば、読み終えることが出来ると思います。そういう形式なので、前半は多少とっ散らかっている印象で、ページは進めど、中々本題に入っていかないもどかしさはありました。
 全体のページ数の約2/3に当たる第4章までが、大雑把に、ヨーロッパや日本の歩んできた時代や背景を、イギリスの産業革命や日本のバブル崩壊までを、世界がどのように進んできたのかをおさらいしている感じです。残り1/3の第5章以降になって、ようやっと「たとえ世界が終わっても」というテーマの本格的な紐解きとなっていきます。

 橋本氏の考える世界同時多発的な動き、つまりイギリスのEU離脱、トランプ大統領の登場、そして日本会議が支える安倍政治のいわゆる右傾化の根底にあるのは、全世界的なレベルでの資本主義への焦りから来ているということです。
 橋本氏によると、資本主義の実体経済は日本のバブル崩壊くらいから限界が来ていて、それ以降は、実体と乖離した架空の金融経済が支えてきており、2008年のリーマンショックはその予兆であったということです。

 そこで資本主義が、緩やかにでも軌道修正すれば良かったのですが、成長を求める資本主義はそれでも制御不能で、橋本氏が「世界が終わる」というのは、近く世界規模のとんでもない、金融破綻が来るのだという覚悟しましょうということです。
 考えてみれば、当然のことで、地球という星が膨張し続けているならまだしも、経済だけが成長し続けるなんてことはあり得ませんし、機械によって生産性が上がれば、上がるだけ成長できるという神話にも限界が来ているのは、誰しもの共通認識としてあるでしょう。

 橋本氏は挙げていませんが、最悪のシナリオとして、私はこのままだと資本主義の終焉が金融破たんより前に、世界戦争が勃発するのではないだろうかということです。その結果、地球全域が放射能に汚染されてしまう可能性もあるだろうと考えています。
 そうなると、その先の人々はどうなってしまうのでしょうか? 生き残った人類にとって、たとえ世界が終わっても、その先があるのでしょうか?あったとしても、人類にとって、恐ろしいまでに過酷な環境でしょう。ナウシカの生きる世界でもまだマシなくらいに…

 それはさておき、右傾化、右傾化と言いますが、どうも安倍政権は軍事力を上げることが=右傾化のように思っているようです。明治政府のことについて、本書でも書かれていますが、そもそもは「尊王攘夷」で外国を敵と見做していたはずの人たちが、徐々に「尊王開国」に変化し、「王政復古」とは反対のはずの「西洋文化」をドッキングさせたという経緯があります。
 現在に連なる、明治から太平洋戦争終戦までの日本の体制を保守とすること自体が間違っているという指摘は、実に的を射ていると思います。福島原発事故での教訓を未来に活かせない現状の日本を鑑み、さらに世界を見渡すと、金融破たんと最終戦争のどちらが先に来るのだろうとただただ暗澹たる気分にさせられます。

  

 

 正直に申しますと、アイドル時代の南野陽子さんは大して知りません。スケバン刑事ですら、何回かしか見たことないし、大河の「武田信玄」は見ていたけれど、本当にまだ役者としては未熟で、単なる可愛いだけのおっとりした清楚なアイドルというイメージで、歌もただ与えられたものを歌っている感じだと思っていました。

 しかしながら、近年、自由度の高い暴露話とかガンガン話している場面に遭遇し、可愛さはキープしつつも森高千里とは違い、キャラのほうは毒舌家みたいになっている姿に注目し、これを読んでみることにしました。22〜23歳にかけて執筆された本書を読んで分かったのは、この方は自分にも誠実だし、アイドルとしてではなく、まず人としてこうありたいというのを、最初から強く持っている人だったのですね。それでいて繊細な心の持ち主でもあり、だからこそ仕事でのぶつかり合いとか誤解が多々あったのだと。

 よくぞこの時点で、ここまで自分の本音を書いたものです。1年間という期間でのエッセイですが、病んでいる時間が1/3くらいはあります。つまり自分に厳しい人なんですね。だから人にも厳しくなる。やはり世間的には生きにくい人なんだなということになると思います。

 とはいえ、さまざまな葛藤を抱えながらも、そこで諦めたり躊躇するのではなく、猪突猛進に正面からぶつかっていく姿勢でいながら、根っこには人としての誠実さや優しさに溢れていて、世俗に決して流されない強さも持っている方だなと感じました。これだけ長い時を経て、南野陽子が大好きになってしまうなんて不思議なものですね。